漁船が海上保安庁の巡視船と接触し沈没した。
尖閣諸島が日本の領土であることは歴史的にも国際法的にも明白なことだが、台湾や
中国も自国領だと主張している。
台湾の馬英九氏は2005年6月の党主席選挙の際、尖閣諸島に関して「釣魚島の奪回の
ために日本とは一戦を交えることもいとわない」と強気の発言し、総統選挙中も総統に
当選してからも、尖閣諸島は台湾に属すると主張している。
ただ、昨年11月の来日時に持論の内容を質され、「現地では経済生活を営むのが困難
なため、領海だけを認めるべきで、200海里の経済海域は不要だ」との見方を示してい
た。領土ではなく領海が台湾に属するというよく分からない理屈だが、反日派と見られ
ることを嫌ったための発言だろう。
台湾の外交部はこの衝突事故が起こったとき、その日は事故原因の究明などを求める
申し入れをしたが、世論に押される形で、昨日になって、尖閣諸島は「台湾の領土であ
り、主権を宣旨し、守ることに疑いの余地はない」とする声明を発表せざるを得なくな
った。
一方の中国も、1992年の領海法で尖閣諸島を自国領と定めた手前、日本政府に尖閣諸
島付近での違法活動を中止するよう求め、「古来中国固有の領土であり、中国は論争の
余地のない主権を有している」と表明している(中国外務省の秦剛報道官による10日の
定例記者会見)。
それにしても、もし台湾の総統選挙中にこの事故が起こっていたらどうなっていただ
ろう。あるいは台湾の総統選挙中に中国からまたぞろ尖閣諸島に上陸隊が出ていたらど
うなっていただろう。懼れていたとは、このことだ。
馬英九氏は持論を強く押し出さざるを得なくなり、馬氏の発言に日本政府も対応せざ
るを得なくなる。それによって、日台関係が最悪の状態になっていたことは十分に予想
できたことだ。総統就任式に日本からの出席者はいただろうか。当然のことながら、ア
メリカもそのような事態を防ぐために介入せざるを得なくなる。
それでアメリカは、総統選挙の投開票日直前の3月半ばから総統就任式の5月下旬まで
キティホークとニミッツの空母2隻を「定期訓練」の名目で台湾海峡の周辺に派遣して
いたのだろう。キティホークは台湾の北東海域で、ニミッツは南東海域でそれぞれ警戒
していたが、アメリカはさらに空母エーブラハム・リンカーンまで派遣し、3隻を台湾
海峡の周辺に展開させたのだ。
総統選中の台湾と中国の軍事的緊張を警戒したこともその理由の一斑かもしれないが、
アメリカが空母3隻も派遣した真意は尖閣諸島を巡って紛争が起こることを警戒してい
たからだろう。それが想定される最も現実的な危機だからだ。
米軍関係者は4月半ば、「総統就任以降もチベット問題やオリンピックがあり、西太
平洋にいる戦略的意義がある」と表明しているが、2ヶ月以上にわたる空母2隻の派遣は、
やはり異常である。空母リンカーンは4月半ばに寄港したものの、未だにキティホーク
とニミッツが寄港したとは寡聞にして知らない。
アメリカによる空母派遣は、台湾・中国間というよりは、尖閣諸島を巡って起こる日
本、台湾、中国の3ヵ国を巡って起こるかもしれない「台湾海峡危機」に備え、現在に
至っていると見た方がよいだろう。
そして台湾は、尖閣諸島問題を巡っては、未だに新政権下の対日関係責任者が決まっ
ていないこの時期、振り上げた拳をどこに降ろすのかを十分に考えた上で応対すべきだ
ろう。
(メルマガ「日台共栄」編集長 柚原 正敬)
<台湾>外交部「尖閣諸島は領土」 遊漁船の沈没事故受け
【6月12日 毎日新聞】
【台北・庄司哲也】尖閣諸島付近の日本領海で10日午前、台湾の遊漁船が海上保安庁
の巡視船と接触し沈没した事故で、台湾外交部(外務省)は11日、尖閣諸島について「
台湾の領土であり、主権を宣旨し、守ることに疑いの余地はない」とする声明を発表し
た。
同部は10日に、日本の在台湾交流窓口機関の交流協会台北事務所(池田維代表)に対
し、事故原因の究明などを求める申し入れをしたが、主権問題には触れていなかった。
11日付の台湾各紙が事故を大きく取り上げたことから、世論の圧力が加わり、強い姿勢
を示す必要に迫られたとみられる。
台湾船が巡視船と接触沈没 魚釣島沖の日本領海内
【6月11日 産経新聞】
10日午前3時23分ごろ、尖閣諸島・魚釣島の南約9キロの日本領海内で、警備中の巡視
船こしき(鹿児島海上保安部所属)と台湾遊漁船の連合号が接触した。連合号は約1時
間後に沈没、こしきが乗組員16人全員を救助した。
第11管区海上保安本部(那覇)によると、こしきは領海内を航行している連合号を発
見し、確認作業中に接触した。こしきは船首部分に軽い損傷があるという。こしき船上
で連合号の乗組員から詳しい事情を聴いている。
11管本部は現場海域に巡視船もとぶなど3隻と、航空機、ヘリコプター各1機を出動さ
せた。接触当時、現場海上は南風6メートルで、1・5メートルのうねりがあったという。