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李登輝政権末期にブレーンらの旅行に参加した蔡英文氏(後列左端)=張栄豊氏提供
1998年の末ごろ、東南アジアを旅行していた蔡英文(ツァイインウェン)に、李登輝総統(在任
1988〜2000年)の側近から電話がかかってきた。「中華民国」(=台湾の政権)の地位強化に関す
る研究をしてもらいたい、という依頼だった。「早く帰ってきて欲しい」との李の意向も伝えられ
た。
クリントン米大統領が同年6月、上海で台湾の独立などを支持しない「三つのノー」を明言。台
湾を取り巻く環境が厳しさを増していた。政権高官が訪独した際は、コール首相の周辺から「台湾
が主権を強化しなければ国際社会で隅に追いやられる」と忠告された。
李にとって、台湾の主権強化は大きなテーマとなった。外国の国際法学者に研究を委ねようとし
たが、手配が進まず、台湾の学者で取り組むことになった。白羽の矢が立ったのが蔡だ。
対中窓口機関、海峡交流基金会の高官だった許恵祐によると、李のもとには当時、中台問題や国
際関係の専門家を集めた「301小組」というチームがあった。「301」は会議をしていた部屋の番号
で、蔡もそのメンバーだった。
主権に関する研究を任された蔡は6、7人の学者を集めて着手した。李は、99年に蔡を英国に派遣
し、9人の学者に「台湾は主権独立国家かどうか」を尋ねさせた。李によると、うち3人は「国だ」
と答え、残りの6人は「そうは言えない」と回答したという。
作業グループ顧問だった張栄豊によると、蔡らは、「中華民国」の現状変更には住民投票を必要
とする▽もともと大陸やモンゴルまで含んでいた領土の範囲を「憲法が有効に施行されている地
域」に変更する、などと提案。憲法や法律の修正の道筋を示していた。
だが、研究は棚上げされる。報告にあった、中台を特殊な国と国の関係とする「二国論」を李が
表に出し、中国が反発するなど国際的騒ぎとなったためだ。
張は「報告に『特殊な国と国』と書いたのは蔡ではなく別の学者」と説明。蔡もそう示唆してい
るが、関与した事実は今も敏感さをはらんだ問題として扱われている。=敬称略
(台北=鵜飼啓)