台湾有事に備えた戦略の構築を  楊 海英(文化人類学者、静岡大学教授)

【産経新聞「正論」:2013年8月3日】https://www.sankei.com/article/20230803-DCGHVUN6OJMLHBL6RTNBURFIMA/?709359

 東シナ海、波高し。中国による台湾侵攻の危機が迫りつつある現在、世界史的視点からこの問題を回顧してみよう。

◆変化する台湾の守り

 2008年夏のある日、私は台湾先住民の詩人と東部・花蓮にいた。富士山より少し高い、標高3825メートルの主峰を戴(いただ)く中央山脈以東は険しい山岳地帯が連綿と続く。西の峰々を眺めながら、詩人は以下のような趣旨の話をした。

「かつて大陸からの入植者が攻めてきた時、我々の祖先は押されて東へと移動した。山に入った時点で、棲(す)み分けできるようになった。平地は入植者、山地は先住民というふうに。今、中国軍がもし台湾島の西部平野に上陸したら、そこから南の高雄と北の台北へ進軍するだろう」

 なるほど台湾島を南北に走る山脈は先住民を守る役割を果たしてきた。仮に中国軍の侵攻が始まったら、台湾軍は東部山岳地帯に拠(よ)って抵抗を続ける。そこへ日本と米国の友軍が駆けつけ、侵略者を殲滅(せんめつ)するだろうという理想を抱いていた。そのためか花蓮には空軍基地があり、私もその近くのホテルに1泊した。中国軍が台湾島の東に回って花蓮の空軍基地を破壊し、東西から挟撃する可能性について想定していなかったようだ。中国軍には台湾東部に展開する力が当時はなかったからだろう。

 武漢発の新型コロナが世界的に猖獗(しょうけつ)を極める前、2020年早春、私はまた退役軍人たちと共に対中国最前線の金門島を訪れた。1958年に約40日間も続いた金門砲撃戦の現場を歩いた。中国軍は当時、漁船を大量に動員し、台湾軍内にいた内通者に期待して上陸したが、米軍の側面支援もあって粉砕された。現在、金門の守りは困難だろうが、台湾海峡は流れが速く、無数の艦艇による渡海作戦は成功しないだろう、と彼らは見ていた。

 友軍として期待されている日本はどうだろう。

◆地政学上の利点と弱点

 2022年夏、私は沖縄県の石垣島に入り、更に南の波照間島まで旅した。折しも中国海軍の空母「遼寧」が石垣島南東海域で実弾訓練を実施していたので、きな臭い雰囲気は否めなかった。ところが、波照間まで運行されている小型船に乗った瞬間、私はユーラシアの草原にいるような心地よい感覚に包まれた。若者たちは実に楽しそうに船を操縦し、流れに合わせ飛ばしている。海を熟知しているのだ、と私はすぐに分かった。

 その姿はまるで草原の遊牧民の戦士が馬を飛ばして峠や塹壕(ざんごう)を越えていくのと全く同じだった。実際に見たことがなくても、峠の向こう側にどのような地形と集団が待ち受けているかについて、遺伝子のような予備知識は遊牧民の脳内にあるからである。長城以南の中国軍が草原に侵入して来て、右往左往している間に一網打尽されるのは、現地の地政学に暗かったからである。天下の中心を自認する中国には古来、他人の地に関する人文社会学的知識を丁寧に分析しようとする謙虚な態度は足りない。それが彼らの弱点である。

 それでも、中国の「台湾解放」の野望は消えない。中国海軍は沖縄本島と宮古島の間を頻繁に行き来し、太平洋に出てから台湾東部とバシー海峡を目指す訓練も近年はできるように変わった。

 いざ台湾東部から作戦を始めるならば、宮古島と石垣島を包囲して「人質」とするだろう。徹底的な平和主義を取る日本が優柔不断で躊躇(ちゅうちょ)している間に、中国の「准同盟者」ロシアの海軍も二手に分かれて日本海と千葉沖に現れ、対日包囲網は完成される。

 世界に援軍を求めようとした台湾も日本も、海底ケーブルが中国によって切断され、台北は青天白日旗を降ろして、五星紅旗を掲揚するだろう。東京も直ちに「日中友好使節団」を北京に派遣し、北京に恭順な態度を示さなければならなくなる。地政学上の利点を見誤った場合の悪夢である。

◆真の「野蛮」を放置しない

 以上は素人のシミュレーションではない。ここ十数年間、台湾と日本を各方面から観察し、各界の人士とさまざまな角度から交流してきた、最悪を想定した対応策である。明るい要素は日本人も台湾人も自身の置かれている自然環境についてはよく理解している点であろう。暗くなる理由は、「それでも平和外交を徹底せよ」との幻想論者が日本に多いことである。

 中国軍にはまだ台湾侵攻の作戦能力が不足している。歴史上、遊牧民と戦った前例から始まり、朝鮮戦争を経て中越戦争まで人海戦術を優先してきた。人命を尊重しない風土があり、それ以上の飛躍が困難であるからだ。得意の人海戦術も、対台湾戦では機能しないのが歴然としている。

 台湾有事すなわち日本有事の現在、日本は中国の虚勢に圧倒されてはいけない。ヨーロッパの一部で蔓延(はびこ)る「ロシア野蛮論」と距離を取り、ロシアとの外交関係を改善し、身近な危機に対応する必要がある。そうなると、ロシアの支持が得られない中国も日本と台湾に強硬な姿勢を取れなくなるからである。

(よう・かいえい)

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