台湾で問題となっている中国人配偶者に対する厳格化措置  平井 新(東海大学特任講師)

台湾で問題となっている中国人配偶者に対する厳格化措置、安全保障と人権・民主を両立させる難しさ平井 新(東海大学特任講師)【東洋経済ONLINE:2025年5月22日】https://toyokeizai.net/articles/-/878899?utm_source=author-mail&utm_medium=email&utm_campaign=2025-05-22

台湾で台湾籍の人と結婚した中国人配偶者への当局の措置や差別が問題となっている。

台湾の内政部(省)移民署は4月に2004年以前に台湾の身分証を取得した中国から来た「大陸地区配偶者(中国人配偶者)」とその子どもに対し、「大陸地区戸籍喪失」の証明や補助資料の提出を3カ月以内に行うよう発表し、未提出の場合は台湾戸籍を喪失すると通告した。

背景には中国による台湾への浸透工作が強まっていることに対して、当局が安全保障の観点から対応を厳格化していることがある。

ただ、台湾社会では長年中国人配偶者への差別が続きそれが問題視されてきた中、当局による厳格化は差別を助長する恐れがあるほか、中国人配偶者からは期限内に対応することが難しいと懸念の声が出ている。

BBC中国語版や台湾の独立系調査報道メディアの「報導者」など相次いで中国人配偶者をとりまく社会問題や当局の対応について報道が出ている。

安全保障と人権、社会の多様性維持など普遍的価値のバランスの取り方で台湾政府は課題を突き付けられている。

◆中国の浸透工作に対応強化する台湾政府

中国人配偶者の戸籍に対して厳格な対応をとる背景には、中国による浸透工作や高まる脅威への対応がある。

契機のひとつとなったのは「亜亜」と呼ばれる中国人インフルエンサーの強制退去事件だ。

台湾人と結婚して台湾に居住していた中国籍の劉振亜さんはSNSで中国による台湾の「武力統一」を煽動したとして、居留許可を取り消され、3月末に台湾を強制退去させられた(詳細はこちら)。

台湾当局はこのほか2名の中国籍配偶者も同様の理由で居留許可を取り消したほか、中台間を頻繁に往来し、台湾で「正常な」生活を送っていると判断できないとした約30人のうち、一部の戸籍を規定に基づき抹消したと公表した。

中国による台湾への浸透工作は強まっている。

政府高官の元秘書や退役軍人の中で中国当局から金銭を受け取り、情報漏洩したとの疑いが相次いで出ている。

また2024年末には台湾のYouTuber「八炯」氏が、中国による台湾ネットインフルエンサーの組織的取り込みとプロパガンダ利用の手口を暴露したほか、中国の身分証を取得した台湾市民が十数万人に上ると示唆され、大きな反響を呼んだ。

最新の世論調査(2025年4月、大陸委員会の委託により国立政治大学選挙研究センター実施)によれば、70.9%が中国共産党を台湾政府に「非友好的」と認識し、54.4%が中国共産党は台湾人民にも非友好的態度をとっていると考えている。

中国の対台湾浸透活動の深刻化を懸念する割合は73.7%、台湾で武力統一を支持する中国籍配偶者の居留許可取消に賛成と答えた割合は67.8%だった。

台湾世論を背景に、頼清徳総統は3月に中国の脅威への具体的な対応として17項目の戦略を発表。

軍事審判制度復活の検討や中国の身分証取得者への管理強化などが盛り込まれ、台湾が直面する安全保障上の厳しい現実への対抗策を打ち出した。

すでに2月から台湾政府は軍人・公務員・教員ら約37万人を対象に中国の身分証保有状況を調査。

4月末までに中国の身分証申請者2名と居住証申請者75名を発見し、発見された全員が中国関連の身分がすでに抹消されたことを確認した。

このような中台の身分証の二重保有に関する調査は、もともとの台湾市民に留まらず、冒頭の中国人配偶者に対する中国の戸籍喪失証明を提出させる要求につながった。

対象者は約1.2万人おり、台湾行政院大陸委員会によれば、中国の「戸籍」保有にあたる行為の範囲には、中国の住民身分証と定住証の所持が含まれるとの定義を示している。

◆中国人配偶者に対する措置は台湾政府に多数の問題

この通知の法的根拠は、2003年改正で2004年に施行された両岸人民関係条例第9-1条である。

同条は「台湾地区の人民は大陸地区に戸籍を設けたり、大陸地区のパスポートを所持したりしてはならない」と定め、違反者は台湾地区の戸籍および関連する身分、権利を喪失すると規定している。

この2004年の施行時には、それ以前に中国の戸籍や中国の旅券を持つ台湾人民に対し、施行後6カ月以内の戸籍抹消または旅券放棄の証明を内政部に提出することを義務づけた。

これは、1992年に同条例が制定された当初、明文規定のなかった中台間での「単一身分制度」を明文化したものだ。

そのため今回の中国人配偶者に対する中国の戸籍喪失証明の提出は法に基づいた執行であるというのが台湾政府の主張だ。

しかし、今回の措置には複数の法的問題点が指摘できる。

最大の問題は2004年の改正法施行から20年以上にわたり、今回のような厳格な執行や対象者への個別通知がなされなかった「行政の不作為」である。

台湾当局は改正時に対象者に通知を行わなかったことを認めつつ、法改正を知らなかったことは中国の戸籍喪失証明の提出義務を免れるものではないとしている。

しかし、20年以上の長期間にわたる「不作為」の後、突如として在留資格の根幹に関わる不利益処分を3カ月という短期間の是正期間だけで一斉に課すことは、行政手続き法上の「信頼保護原則」(行政実務により形成された法的地位への信頼保護の原則)に反する可能性が高い。

法改正から20年以上が経過し、長年台湾に住み続けた中国人配偶者の中には、すでに中国の家族や親戚、行政機関との連絡途絶した者も予想されるほか、中台関係が緊張する中で中国へ渡航することが難しい当事者がいる恐れもある。

現に中国人配偶者の人たちからは「今さら戸籍喪失証明書を取得する方法がない」「台湾で政治活動に関わってきたので、怖くて中国に行けない」などの声も上がっている。

短期間での証明提出と未提出時の台湾の戸籍抹消という措置は過重な負担である。

台湾政府は「中国からの浸透防止」という目的達成のために措置を厳格化しているが、戸籍喪失証明は中国当局が発行するものだ。

中国当局の協力を前提とする証明書提出を義務付ける手段は目的を達成するうえでの適合性に欠いている。

中国が発行した証明書で台湾戸籍が維持されるかの可否が決まるのであれば、中国系移民の台湾での身分を中国当局の判断に事実上委ねてしまっており、浸透工作防止どころか逆に利用されかねない。

◆市民権と結びつく戸籍、浸透工作の標的に

これらの問題を考慮して、台湾当局は4月中旬にも柔軟化措置を発表している。

中国への渡航に安全上の懸念があることや重大疾病があるなどの条件に当てはまる場合は宣誓書による代替を認めた。

また就学や家庭の事情などがある場合には提出期限の延長を認めた。

そもそも台湾において戸籍は実質的に国籍に近い。

公職に就く権利、選挙権など、身分証番号が必要となる基本的な市民権はすべて戸籍に結びついており、戸籍は市民権に直接結びついた重要性を持っている。

したがって、投票権の行使も戸籍と直接連動している。

地方選挙では選挙区内に4カ月以上、総統選挙では台湾に6カ月以上の居住(戸籍の登録)が必要である。

また、「戸籍法」の規定で、台湾市民が2年以上海外に出国すると戸籍が「遷出」(除籍ではなく戸籍の「移転」管理措置)され、帰国後に投票権の回復には再び戸籍の登録および一定期間の経過が必要となる。

台湾社会で安全保障を重視する世論が強く、実際に対応が必要なのは事実だ。

ただ中国政府からの浸透工作に脆弱なのは中国からの移民には限らない。

例えば、約20万人とも言われる「台商」(中国で活動する台湾企業関係者)は、選挙時の帰省投票が恒例で、その影響力が問題視されることもある。

2012年の総統選挙ではHTCなどの大手台湾企業が「一つの中国」を中台で合意したとされる「92年コンセンサス」と国民党支持を表明し、選挙情勢に影響を与えたとされる。

台商を利用した選挙介入の懸念は依然存在している。

実際に2020年選挙では、湖南省居住の台商が中国資金で買収工作を行い、総統候補だった韓國瑜ら国民党候補を支援した罪で有罪判決を受けた事例もある。

また、主に中国市場で活躍する台湾芸能人の言動も以前から影響力工作の標的とされている。

近年、彼らの中国寄りな政治的立場の表明は、単なる中台の民族の文化的紐帯を強調するだけでなく、中国政府の政治的立場への積極的支持へと質的変化を見せている。

2024年の頼総統就任演説に対して中国中央テレビのSNSアカウントが「台湾独立は死路(袋小路)、祖国統一は止められない」と投稿すると、王心凌さん、楊丞琳さん、張鈞●さんら多くの台湾芸能人がこれを転載した。

長年、多くのヒットアルバムやヒットドラマを生み出し、中華圏に多数のファンを抱えるベテランの台湾芸能人がこうした政治的発言をするのは異例のことで、台湾社会でも大きな反響と動揺を呼んだ。

(●=ウ冠、心の下に用。

ネイ)

台湾の芸能人は台湾市民である以上、どのような政治信条を持ち、その政治的立場をいかに公言しようとも、「亜亜事件」のように居留資格の取り消しや強制退去処分を受けることはありえない。

一方で、その言論は中国移民のマイクロインフルエンサー「亜亜」などとは比べ物にならないインパクトがある。

台湾政府による「単一身分制度」の厳格化や浸透工作への警戒強化は、中国からの脅威に対する安全保障上の要請である。

しかし、その過程で露呈する法的な原則(信頼保護など)との緊張関係、そして「台湾人」の定義やその市民権の行使の範囲をめぐる社会の葛藤は、台湾の民主主義に重い問いを投げかけている。

◆安全保障と普遍的価値の両立で悩む

公的影響力を持つ一部の台湾出身芸能人が、台湾市民としての身分とそれにともなう権利を享受しつつ、自らの故郷を囲むように行われる軍事演習という武力による威嚇をSNSで嬉々として支持する行為は誰が見ても明らかに異様である。

その一方で数十年前に台湾に移住した中国系移民が今さら在留資格喪失の不安に直面しなければならず、社会的にも差別を受けているという現状は、あまりに非対称的で不合理と言わざるをえない。

中国人配偶者は過去に経済的理由で移住してきた人たちが多かったことから、台湾社会では見下す風潮があった。

また、戦前から台湾にいた本省人の人たちと日本敗戦後に中国大陸から台湾へ移った外省人と呼ばれる人たちとの間では衝突や政治的対立があったため、中国出身者に厳しい感情を持つ人ももともと多かった。

台湾メディア『報導者』(5月6日配信)が報じたように、両岸関係の緊張下で「中国系台湾人」というアイデンティティを抱える人々の生きづらさや社会からの疎外感は、安全保障の名の下で見過ごされがちなエスニック・マイノリティの人権保護の重要性を浮き彫りにする。

記事には、市民からの「大陸に帰れ」という心ない言葉に傷つき、30年住んだ台湾を離れる決断をする人も出ているという。

こうした人々もまた、台湾の自由で民主的な生活の維持を願う構成員であるにもかかわらずだ。

中国からの脅威に対峙しつつ、国内の法の支配、民主的プロセス、そして多様な背景を持つ市民をいかに社会に包摂し、その権利をいかに保障するのか。

台湾の民主主義は、安全保障上の要請と普遍的価値との間で、困難かつ重要なバランスを模索する道のりを、今まさに歩んでいる。

筆者は世界の多くの民主体制が直面している普遍的な課題が、現代台湾社会ではより鋭く明確に現れてくると考えている。

だからこそ、台湾の民主主義の行方は、台湾自身の未来だけでなく、同様の課題に直面しうる他の民主主義社会にとっても示唆に富むものとなるだろう。

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平井 新(ひらい ・あらた)東海大学政治経済学部政治学科特任講師。

2020年、早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程修了、博士(政治学)。

専門は、比較政治学、移行期正義論、台湾現代政治、東アジア現代史など。

2021年、北京大学国際関係学院博士課程修了(ABD)。

早稲田大学地域・地域間研究機構次席研究員などを経て、2023年から現職。

主著に、Policing the Police in Asia: Police Oversight in Japan, Hong Kong, and Taiwan (SpringerBriefs in Criminology)、共著に『台湾研究入門』。

主な論文に「現代台湾における重層的な移行期正義の展開」(早稲田大学政治学研究科 博士学位論文)など。

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