九州の半導体工場誘致に4000億円の血税が使われた本当の意味  藤 重太

 昨年11月9日、半導体受託生産で世界最大手の台湾積体電路製造(TSMC)は11月9日、熊本県に新工場を建設することを発表した。

 本誌でも、熊本工場は「半導体の製造受託サービスを提供する子会社『Japan Advanced Semiconductor Manufacturing』(JASM)を設立し、このJASMにソニーセミコンダクタソリューションズ(SSS)が5億ドル(約570億円)を出資し、SSSが20%未満の株式を取得する」(Engadget 日本版)と伝え、「TSMCが日本に生産拠点を設置するのは今回が初めてのことで、中国、米国に次ぐ。経済安全保障上の観点からも日台共栄のためにも大歓迎だ」と記した。

 本会の台湾セミナーでも『国会議員に読ませたい台湾のコロナ戦』の著者であることから、台湾のコロナ対策をテーマに講師をつとめていただいた藤重太氏は、実はアジア市場開発と富吉國際企業管理顧問有限公司の代表を兼任し、台湾経済部系シンクタンク「資訊工業策進会」の顧問もつとめていることからも分かるように、台湾経済や国際貿易が専門分野だ。

 このほど「PRESIDENT Online」に、TSMCの日本誘致の意義について舌鋒鋭く論じ、「日本は新しい技術大国としての生き残り/生まれ変わりを模索できる」「いま日本の産業界を苦しめている部品不足は解消され、研究開発や商品開発の分野でも大きなチャンスが産まれるはずだ」と述べ、「日本にその半導体の生産基地ができることは朗報以外の何ものでもない」と述べている。日本は��ぢ台湾の決断にむしろ感謝すべき��ぢというタイトルの意味がよくわかる、説得力に富む論考だ。下記にその全文をご紹介したい。

 藤氏は、いま発売されている月刊「正論」3月号にも「半導体産業育てた台湾政治の覚悟」を寄稿している。併せて読まれたい。

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藤重太(ふじ・じゅうた)1967年(昭和42年)、東京・江戸川区生まれ。千葉県佐倉市に育ち、1986年、成田高校(学校法人成田山教育財団)卒業後に台湾に渡り、国立台湾師範大学国語教学センターに留学。台湾大学国際貿易学部卒業。在学中、夜間は私立輔仁大学のオープンカレッジで日本語の講師を4年間務める。1992年、香港にて創業し株式会社アジア市場開発の代表に就任。2011年以降、小学館、講談社の台湾法人設立などをサポート、台湾講談社メディアでは総経理(GM)を5年間務める。台湾経済部系シンクタンク「資訊工業策進会」顧問として政府や企業の日台交流のサポートを行う傍ら2016年に台湾に富吉國際企業管理顧問有限公司を設立して代表に就任。2021年3月、日本李登輝友の会理事に就任。主な著書に『中国ビジネスは台湾人と共に行け─気鋭のコンサルタントが指南するアジアビジネスの極意 』(SAPIO選書、2003年) 『藤式中国語会話練習帳(初級・中級)』(台湾旭聯、2007年)『亜州新時代的企業戦略』(台湾商周出版、2011年)『国会議員に読ませたい台湾のコロナ戦』(産経新聞出版、2020年)など。

—————————————————————————————–藤 重太(アジア市場開発・富吉国際企業顧問有限公司 代表)�”台湾の決断にむしろ感謝すべき��ぢ九州の半導体工場誘致に4000億円の血税が使われた本当の意味新生��ぢ技術大国日本��ぢが生まれる好機【PRESIDENT Online:2022年2月5日】https://president.jp/articles/-/54322?page=1

◆2024年末までに生産開始予定

 11月9日、半導体大手TSMC(台湾積体電路製造)は、半導体製造受託の子会社Japan Advanced Semiconductor Manufacturing(以下「JASM」)を熊本県に設立し、日本のソニーセミコンダクタソリューションズ(以下「SSS」)がJASMに少数株主として参画すると発表した。SSSはJASMに約5億ドル(約570億円)、を出資し、20%未満の株式を取得。2022年から工場の建設に取りかかり、2024年末までに生産を開始する予定だ。当初の設備投資額は約70億ドル(約8000億円)となる見込みで、「日本政府から強力な支援を受ける前提」とされた。

 翌11月10日、萩生田光一経済産業相は閣議後会見で、「TSMCによる先端半導体製造拠点への投資は、わが国のミッシングピースを埋めるものである」「必要な予算の確保と、複数年度にわたる支援の枠組みを速やかに構築したい」と述べた。日本政府はTSMCの誘致に4000億円規模の補助金を出す予定だとみられている。

 そして12月20日、台湾経済部(日本の経済産業省に相当)投資審議委員会は、TSMCが最大2378億2080万円を日本に投資し、半導体の受託生産、販売、テスト、回路設計支援を行う事業を認可した。発表によれば、日本の熊本県菊陽町に22/28nmの12インチ半導体生産工場を建設。SSSとの合弁事業で、TSMCの暫定株式保有率は最大81%という。

◆「日本側から誘致した」という否定しようのない構図

 ここで注目したいのは、TSMCやソニー、荻生田経産相によるアナウンスと、台湾当局による事業認可との時系列的な順序だ。

 台湾では外国からの投資案件や、自国企業による外国への巨額投資について、政府の許可が必要になる。これは技術の流失や産業スパイ活動の防止、国家の安全を考慮し、台湾の法律で定められている手続きで、特に中国資本による投資、台湾企業による中国関連の投資は厳しく審査される。

 つまり日本側のお膳立てを受けて、TSMCが台湾政府の投資審査を受けたという点が重要なのだ。TSMCと台湾は日本側の要望に応じて、投資を審議している。台湾側が日本側の対応に不満を抱いたり、技術流失の不安を感じたりすれば、台湾政府として投資を認可しない選択肢もあったのである。主導権は、完全に台湾側、TSMCにあったのだ。

 したがって、「一世代以上前の平面型22/28nmプロセス、ソニーの20%未満の投資参加、50%近い政府援助」という九州新工場の事業スペックは、日本側がTSMCに提案した内容(の一部)だと考えてよいのではないだろうか。

◆誘致批判派の的外れな議論

 日本では、「TSMCの熊本工場は、日本の役に立たない」「なぜ一世代以上前の技術なのか。それに4000億円もの税金を投入するのはばかげている」と評論する人も多い。中には、「日本の技術を盗まれる」という危惧を口にする人までいる。しかしこれらはすべて、全くのお門違いである。

 なぜ付加価値の少ない10年前の技術で合意したのか、なぜ4000億円の補助金がなければ誘致が困難だったのか。それを考えれば、日本の技術の流失を心配する前に、むしろ台湾側が、TSMCの先端技術が日本経由で中国に流出する可能性を心配していたかもしれないと考えるべきだろう。

 では客観的にみて、TSMCの日本誘致は是なのか非なのか。まずはソニーにとって、JASMへの出資による事業参加にどのくらいメリットがあるのかを考えてみたい。

 ソニーは必要とする半導体のほとんどを海外からの輸入に頼っていた。これが、自社が投資している国内工場から優先的に供給されるメリットは計り知れない。海外調達リスクや値上げリスクからも解放される。顧客からの要望に応じられる可能性や選択肢が増し、機会損失が大きく減ることは間違いない。

 さらにJASMが掲げる「回路設計支援」が順調に進めば、これまでの調達体制では作れなかったような回路の開発が可能になることが予想される。さまざまなアイデアを形にできるこの機会創造は、ソニーのさらなる業績拡大につながるかもしれない。

 台湾メディアでは2020年の夏ごろ、TSMCがソニー向けCMOSイメージセンサー(CIS)の専用工場を台南に設置するとも報じられた。これが事実なら、ソニーにとっても良い交換条件になったのではないだろうか。

◆日本の産業界全体に大きなメリット

 次に、半導体需要や日本の産業界全体へのメリットについて考えてみたい。熊本新工場の生産能力は月産4万5000枚(300mmサイズウエハー)となる見込みだ。専門家の中には、ソニーの必要量は月1万枚程度だから、TSMCは余剰分の3万5000枚を海外に販売して丸もうけするつもりだろうと、了見の狭い分析をする向きもある。

 しかし、この3万5000枚を日本国内の企業に優先的に分配することができれば、半導体を必要とする日本企業も海外調達リスクを大幅に軽減することができる。多額の税金を投入するのだから、これくらいは政府主導で行ってほしい。

 車載半導体サプライチェーン(デンソーなど)への安定供給が進めば、自動車産業にも朗報だ。さらに、日本メーカーが開発から撤退し国内に生産拠点がない40nm未満の先端ロジック半導体について、設計やテストから生産までを行える基地が誕生することで、日本の半導体応用技術は飛躍的に発展する可能性がある。EV関連など、将来有望な分野での技術進化も期待できるかもしれない。

 裏を返せば、日本の製造技術は、すでに自国で先端半導体の開発ができない状況に陥っていたのだ。

◆注目すべき東大とのアライアンス

 加えて、国内の大学や研究機関との協力にも注目したい。とりわけ、2019年11月に東京大学とTSMCが発表した、先端半導体技術の共同研究のための提携「東京大学・TSMC 先進半導体アライアンス」は重要だ。この提携があったからこそ熊本工場の誘致が実現したと、筆者は考えている。

 同アライアンスの締結に先立ち、東大では新たな半導体研究センター「d.lab(ディーラボ)」を立ち上げた。d.labではTSMCが提供する開発支援プラットフォームを用いて、設計した半導体をすぐにTSMCの先端プロセスで試作できる態勢を整えている。国内の企業や研究機関と、最新の生産技術を持つTSMCとの間を取り持つ存在になることが期待されている。

 東大とTSMCの共同研究活動も進められる予定だ。材料、物理、化学などの幅広い領域で相互に協力しながら、半導体技術全体のさらなる革新につながるアプローチも模索していくという。

 TSMCの工場誘致と学術提携は、日本の半導体関連技術の強化や、人材育成機会の創出につながる。TSMCとの提携をきっかけに、日本は新しい技術大国としての生き残り/生まれ変わりを模索できると、筆者は信じている。

◆汎用性の高い22/28nm半導体

 TSMC熊本工場と同時に、米アリゾナ州でもTSMCの工場が誘致されることが決まっている。生産されるのはFinFET型の5nmプロセス半導体で、12インチ(最高値の半額という300mm)ウエハー月産2万枚。アメリカ政府もアリゾナ工場の誘致に、上限で約5兆7000億円を準備しているとも報道されている。

 「なぜアメリカには最新技術の工場が建設され、日本では10年以上前の旧世代技術の工場なのか」という問いの答えは、至って単純だ。日本には5nm FinFET技術で作られた高性能半導体を使いこなすだけの企業・工場がないのだ。日本ブランドの最新の携帯やパソコン、ゲーム機などは、台湾などのEMS企業が海外で受託製造していて、日本に工場はない。

 「外国企業は日本の部品無しでは何も作れない」といわれているが、「日本も外国の半導体や製造協力がなければ何も作れない」のだ。いまでは純日本製の家電すら見当たらない。

 しかしTSMC熊本工場で作られる22/28nm半導体の汎用性は高く、機械や設備などの制御基板、PC系デバイス、テレビや家電、携帯電話などの通信機器、ゲーム機器、車などの部品として使われる。九州工場の生産能力から出資者であるソニーの需要を差し引いた分の半導体が、国内の各企業に効率的に配分されれば、いま日本の産業界を苦しめている部品不足は解消され、研究開発や商品開発の分野でも大きなチャンスが産まれるはずだ。

 脳波を使った医療器具を開発している私の友人からは、「半導体不足で試作品すら作れない状態だ。オリジナルICチップの製作も高額で、納期も2年待ち」という話を聞いたことがある。このように世界の半導体不足は、新規の商品開発を遅らせ、ベンチャー企業などチャンスを奪い、経済発展を停滞させているのだ。日本にその半導体の生産基地ができることは朗報以外の何ものでもない。

◆失われた30年を繰り返さないために

 日本の「失われた30年」は、製造立国としての実力も地位も失った30年だったのかもしれない。2016年にシャープが台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業に買収をされた時も、製造立国としての「敗戦」などと表現する人もいた。2022年はその現実を直視し、「失われた40年」にしないための対策を考えなければならない。

 そしていままさに2016年の「ホンハイの矢」に続き、台湾から「第2の矢」が放たれたのではないだろうか。その矢が、救世主としての矢なのか、悪魔としての矢なのかは、受け取る側の判断と対応に委ねられるだろう。

 今後、多くの企業やベンチャーが自由に試作品や研究開発を進められる環境が進めば、世界を変えるような新進気鋭のメーカー企業が再び日本で生まれるかもしれない。どんな企業でもチャンスが与えられる産業政策と環境整備を、日本政府が多額の税金投入の対価としてしっかり進めていけば、必ず日本の製造立国としての復活はあると信じている。台湾もそれに期待して、日本に投資しているに違いない。

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