11月18日、奇美実業創業者で総統府国策顧問や資政などをつとめられた許文龍氏がお亡くなりになりました。享年95歳。
本誌前号で、台湾の友愛グループ代表の張文芳先生が11月13日に94歳で亡くなられたことをお伝えしたばかりで、今月は4日には、台湾独立建国聯盟日本本部顧問で『台湾よ、ありがとう(多謝!台湾)━白色テロ見聞体験記』の著者の小林正成(こばやし・まさなり)氏が90歳で亡くなり、10日には10月11日に彭栄次・元台湾日本関係協会会長も88歳で亡くなっていたと報じられ、昭和一桁生まれの訃報が続いています。それも、李登輝元総統と浅からぬご縁の方々ばかりです。
許文龍氏には、本会の日本李登輝学校台湾研修団の折、合唱の女性お二人とともにギターで「ふるさと」や「赤とんぼ」などを演奏していただきました。また、本会の「台湾・桜植樹式とお花見ツアー」でもギター演奏をしていただいたことがあります。
なんと言っても、日本人に影響が大きかったのは社員教育の一環として話された内容を『台湾の歴史』という冊子にまとめられたことではないかと思います。本会にも頒けていただき、多くの日本人が台湾を知るテキストとして重宝していました。
また、許文龍氏は李登輝元総統や鄭南榕烈士の胸像を自ら制作するとともに、八田與一、後藤新平、新渡戸稲造、浜野弥四郎、鳥居信平、磯永吉、末永仁、新井耕吉郎、羽鳥又男、羽鳥重郎、松木幹一郎という、台湾の発展に尽くした11人の日本人の胸像を自ら制作または制作を支援しました。
2013年(平成25年)秋の叙勲では、日本及び台湾間の経済関係の強化及び交流促進、そして日本企業の国際化の推進に多大な貢献をされてきたことから旭日中綬章を受章しています。中央通信社は、2013年12月3日に日本台湾交流協会台北事務所の文化ホールで、許文龍氏に当時の樽井澄夫代表より勲記・勲章の伝達を行った折の写真を掲載して訃報を伝えています。
これまでのご教導に深甚の感謝を申し上げ、心よりご冥福をお祈りいたします。 令和5年(2023年)11月19日
日本李登輝友の会
—————————————————————————————–台日経済交流促進に尽力 実業家の許文龍氏が死去 95歳【中央通信社:2023年11月18日】https://japan.focustaiwan.tw/society/202311180004
(台南中央社)大手化学メーカー「奇美実業」を中心とする奇美グループの創業者、許文龍(きょぶんりゅう)氏が18日午前、死去したことが分かった。95歳。同グループが明らかにした。
許氏は日本統治時代の1928(昭和3)年、南部・台南市生まれ。台日経済関係の強化や交流促進、日本企業の国際化などに貢献し、2013年には日本政府の秋の外国人叙勲で旭日中綬章を受章した。
東日本大震災の発生後には、多額の義援金を送った他、被災地の雇用や復興支援にも取り組んだ。
17年に台南市の烏山頭ダムに設置されている、台湾の水利事業に貢献した八田與一技師の銅像が壊された際には、同グループの奇美博物館に対し修復に協力するよう指示を出した。
(張栄祥/編集:齊藤啓介)
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