台湾の戒厳令下の人権迫害とその救援活動の貴重な記録  王 明理

 本誌9月21日号でご紹介しましたが、東京・虎ノ門にある「台湾文化センター」において、9月15日から11月15日まで「台湾国家人権博物館特別展『私たちのくらしと人権』」が開催中です。

 蒋介石・蒋経国による独裁政権下で多くの犠牲者を出した台湾の「白色テロ」では、ほとんどが冤罪の政治犯として投獄されました。しかし、三宅清子さんら日本人が支援する「台湾の政治犯を救う会」の人々は、人権保護の立場から支援を続けました。

 言論の自由がなかった当時、彭明敏博士が謝聡敏氏(当時、台湾大学大学院生)や魏廷朝氏(当時、中央研究院助手)とともに「台湾自救運動宣言」を発表しようとして当局に逮捕され、三宅さんは友人だった謝聡敏氏の投獄をきっかけに、被害者たちを秘かに支援するようになったそうです。

 一方、三宅さんたちの活動とは別に、軟禁されていた彭明敏博士を国外亡命させたのは台湾独立建国聯盟日本本部の宗像隆幸(むなかた・たかゆき)氏であり、台北市内のビルから台湾の民主化と独立を求めるビラを気球からばら撒いた事件を起こして投獄され、獄中で隣り合った謝聡敏氏から書簡を預かって出獄したのも台湾独立建国聯盟日本本部の小林正成(こばやし・まさなり)氏でした。

 台湾独立建国聯盟日本本部委員長の王明理氏が「台湾国家人権博物館特別展」についての感想を発表していますので、下記にご紹介します。

 なお、李登輝元総統は小林正成氏が起こした事件をかなり後になって知り「こういう日本人がいたことに驚いた。戦後台湾の白色テロ時代に、台湾の民主化を要求するビラを気球に積んで台北の空からばらまいたとは、当時を知る私には信じがたい事実だ。我が身を顧みず台湾のために尽力した日本人は少なくないが、小林氏もその系譜に連なる躬行実践の人だ」と讃えられています。

 宗像氏の彭明敏氏を亡命させたことなどについては、同氏の『台湾独立運動私記─三十五年の夢』(文藝春秋、1996年)、小林氏の気球からのビラ撒き事件や謝聡敏氏との獄中での交流などについては、同氏の『台湾よ、ありがとう(多謝!台湾)─白色テロ見聞体験記』(展転社、2013年)をご参照ください。

—————————————————————————————–台湾の戒厳令下の人権迫害とその救援活動の貴重な記録王 明理(台湾独立建国聯盟日本本部委員長)【台湾の声:2021年10月29日】

 <「私たちのくらしと人権」〜台湾国家人権博物館特別展>が9月15日から11月15日まで台北駐日経済文化代表処台湾文化センターで開催されている。

 当時の孤立無援の台湾人のことや政治犯のことを知る者としては、台湾政府機関が堂々とこの問題を取り上げ展示することにも、朝日新聞や毎日新聞がこの展示について大きく報じたことにも、隔世の感を覚える。

 戒厳令下で政府によって「政治犯」に仕立てられて投獄され、死刑や長期刑を宣告された幾多の人々。その数は数万を下らない。その人々を救う活動をしたのが、日本の「台湾の政治犯を救う会」の人々である。勇気をもって、台湾から政治犯のリストを持ち出した三宅清子さんをはじめ、この会のメンバーたちの活動に今も胸が熱くなる。そして、三宅さんが持ち出した政治犯のリストを掲載したのは、『台湾青年』である。

 今回の展示室の中では、白色テロ被害者4名のインタビュー映像と、2008年に台湾で作成された「火線任務─台湾政治犯救援録」がリピート再生されていて、一見に値する。

 「火線任務─台湾政治犯救援録」には二人の台湾独立建国聯盟盟員が出てくる。彭明敏博士の亡命を助けた宗像隆幸(むなかた・たかゆき)氏と、収監されていた台湾警備総司令部から出る時に、謝聰敏(政治犯)の書簡を持ち出した小林正成(こばやし・まさなり)氏である。

 他にも、政治犯が処刑される前に書いた自筆の遺書のコピーが展示され、その教養深い日本語の内容と達筆な日本語に胸がしめつけられる。

 台湾人はなんと苦難に満ちた歴史を歩んできたことか。そして、なんと見事にそれを克服してきたことか。その陰に、日本の心ある人々の助力があったという事実。大きな意義のある特別展である。

・展示は平日の10時から17時まで(土日休み) 台湾文化センター 〒105-0001 東京都港区虎ノ門1-1-12 虎ノ門ビル2階 電話:03-6206-6180 地下鉄銀座線・虎ノ門駅 出口1番、10番から徒歩約1分

・同展ウェブサイト:https://snet-taiwan.jp/twhr/・開幕式の様子:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000078.000042392.html

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