する。確かにそうだった。それも騙し討ちのように、国交を断絶した。
1972年9月29日、田中角栄総理とともに北京に赴いていた大平正芳外務大臣は北京民族文
化宮内のプレスセンターで記者会見を行い、日中共同声明について発表すると同時に「日
中関係正常化の結果として、日華平和条約はその存在意義を失い、同条約は終了したと認
められるというのが日本政府の見解である」と表明した。この表明だけで、日本は台湾の
中華民国と断行したのだった。予想はしていたものの、驚いた台湾側は対抗して「対日断
交宣言」を発表、10月にはお互いの大使館を閉鎖した。以後、今日に至るまで国交は開か
れていない。
大の共産党嫌いだった佐藤栄作総理が日中国交樹立を模索し、次の田中角栄もまた共産
党嫌いだったにもかかわらず日中国交樹立を模索し、ついに「日中共同宣言」を発して中
華人民共和国と国交を樹立するようになった「事情」を本書は描く。また、50年にわたっ
て歴史を共有してきた台湾との国交断絶の悲劇も活写している。日中の国交樹立は、国際
情勢というより日本と中国の国内事情によるという著者の指摘は鋭い。
それにしても、記者会見の一片の表明だけで台湾を切り捨てたことについて、大平外相
は後日「あの当時としては、ああいう選択しかなかった」と語ったというが、中嶋嶺雄氏
は「日中国交樹立そのものが正しい歴史的選択だったのか」と疑問を呈し、また「わが国
は中華民国との間の日華平和条約を一方的に破棄し、台湾との国交を断絶したのである。
国際法上も日本と台湾との歴史的に極めて深い結びつきからしても、戦後日本が犯した大
きな過ちであった」と断じた(2012年9月28日付「産経新聞:正論」。
また、アメリカは国内法で「台湾関係法」を制定することで、台湾との実質的な外交関
係を保った。しかし、日本には未だにそのような国内法はない。断交直後の12月26日に交
わした14条の「財団法人交流協会と亜東関係協会との間の在外事務所相互設置に関する取
り決め」のみだ。日台間に法的裏づけは何もない。これが台湾との断交という「戦後日本
が犯した大きな過ち」の具体的な中身だ。
日中国交樹立40周年の本年、日本は未だに「日中復交三原則」に基づく「日中共同声
明」に呪縛され、官庁の役人は課長までしか台湾に行けないというバカバカしい内規を後
生大事に守っている。いい加減に目覚めるときだ。
本書は、40年前の日中国交樹立と台湾との断行について冷静に振り返らせる労作だ。一
読をお勧めしたい。
丹羽文生(にわ・ふみお)昭和54(1979)年、石川県生まれ。東海大学大学院政治学研究
科博士課程後期単位取得満期退学。作新学院大学総合政策研究所研究員等を経て、2012年
から拓殖大学海外事情研究所准教授
・著 者:丹羽文生
・書 名:『日中国交正常化と台湾―焦燥と苦悶の政治決断』
・体 裁:四六判、上製、本文200頁
・版 元:北樹出版
・定 価:2,205円(税込み)
・発 売:2012年9月29日