勲受章者40人を発表した。
台湾からは下記の3人が受章した。その中に、本会とも縁が深い李雪峰・台湾高座会会長
も入っていた。李雪峰会長はじめ叙勲された方に心から祝福を申し上げたい。
・許敏恵(89) 旭日中授賞 元台日文化経済協会長
・鄭世松(82) 旭日中授賞 元台日商務協議会長
・李雪峰(86) 旭日小授賞 台湾高座台日交流協会理事長
今回の受章者は昨年の春と秋の4人から1人減ったものの、米国の10人に次いで2番目に多
く、日台関係の深さを表す結果となった。フランス、ドイツ、ブラジル、クロアチア、イ
ンド、インドネシア、フィリピン、ラオスなどの2人を上回った。
李雪峰会長は来る5月9日に開かれる「台湾高座会留日70周年歓迎大会」に台湾から300名
近くの元台湾少年工を率いて来日される。何よりのはなむけだろう。
ご存じのように台湾少年工とは、昭和18(1943)年、迎撃戦闘機「雷電」を製造する高
座海軍工廠が神奈川県高座郡に新設されるのを機に、海軍はその労働力を台湾に求め、働
きながら勉強すれば、旧制中学や工業専門学校の卒業資格を得られるという条件に魅力を
感じた13歳から20歳の青少年が応募、8400名余が合格、厳しい訓練を受けて全国の航空機
製造現場へ配属され、雷電・零戦・月光などの生産や修理に従事した台湾の青少年たちの
ことだ。
戦後は持てる技術と精神力を活かし、台湾の経済復興と発展に貢献する。日本から台湾
に進出した企業は、何らかの形で台湾少年工出身者にお世話になったと言われるほどだ。
国交のない台湾と日本の交流を支えてきた台湾で最大の団体が台湾高座会だ。
李雪峰会長は大正15(1926)年生まれで、台北市立商工専修校のときから体が大きく背
も高く、剣道2段の腕前だったそうで、高座海軍工廠時代にも寮長をつとめるリーダーだ
った。1987年7月15日に待ち望んだ戒厳令が解除されるや、1年も経たない翌年6月に台湾高
座会第1回全国大会が開かれ、李雪峰氏が満場一致で会長に選出された。それ以来26年間、
会長を務めている。その間、会長交代の声はまったくなかったという。
ちなみに、「台湾高座台日交流協会」とは「台湾高座会」の正式名称で、台湾・内政部
認可の社団法人だ。NHK「JAPANデビュー」問題が起こったときには、「台湾高座
台日交流協会」は李雪峰理事長名で「会員の総意をもってNHKが『JAPANデビュ
ー・アジアの一等国』の放送内容を謙虚に反省し訂正されることを要求」する烈々たる抗
議文を当時の福地茂雄・NHK会長に送っている。
李雪峰会長は、本会の台湾側カウンターパートである李登輝民主協会(蔡焜燦理事長)
の常務理事もつとめており、4月16日、本会の「日米台の安全保障等に関する研究会」(川
村純彦座長)が訪台したときも、蔡理事長らと一緒に歓待いただいた。
台湾少年工もすでに全員が80歳を越した。李雪峰会長への叙勲は、この台湾少年工たち
を代表してのものだろう。心から祝福したい。