『台湾紀行』に登場の楊克智さんが胃癌のため逝去

去る7月25日午後4時すぎ、台湾の楊克智さんが胃癌のため亡くなられた、との
知らせが台湾から届いた。大正11年9月のお生まれだったから、満82歳だった。
 楊克智さんといえば、司馬遼太郎の『台湾紀行』を思い出す方が少なくないだ
ろう。その中の「長老」という李登輝前総統について書かれたところに登場する
。大阪外国語学校で司馬氏の同窓だった楊克智さんが学徒出陣で出征する場面が
描かれている。
 
 私が在籍した大阪外語学校(現・大阪外大)でも、中国語専攻の楊克智氏が、
他の多くの人達とともに兵隊にとられた。
 楊氏は台南うまれで、そのころ、台湾ではなるべく日本名に変えよという法令
が出て、全島で十数万人が創氏改名した。このことは、葉盛吉氏のくだりでふれ
た。私は在学中の楊氏を柳井智雄という名前で記憶していた。

 この楊克智さんは音楽が好きで、出航を待つ間に喫茶店でメンデルスゾーンを
聞いていて、急遽、出航となったにもかかわらず楊さん一人が見つからなかった
ために船に乗ることができなかった。しかし、この船が米軍の潜水艦に撃沈され
てしまう。楊克智さんの音楽好きが全員の命を救ったというエピソードだ。
 司馬氏は、楊克智さんが基督復臨安息日会の長老だったことも記し、司馬氏が
台湾で楊さんと会い、出征の乗船仲間だった李登輝前総統のことを聞いたときの
楊さんの返答も紹介している。楊さんと李登輝さんは40年ぶりに教会の会合で出
会ったという。

「記憶力のいい人ですね。私の顔をみるなり、柳井さん、ヨウコクチさん、と古
い日本発音でよびました」
 李登輝さんの人柄も、察しうる。

 このように、司馬遼太郎は「長老」と題した中で楊克智さんを取り上げている
。今になって読み返してみると、楊克智さんの追悼記としても読めるような思い
にとらわれた。そういえば、この『台湾紀行』が新しい台湾の動きを描き出して
いるにもかかわらず、台湾を思い出そうとするかのような懐かしさに溢れたよう
な筆致だったことを思い出す。
 楊克智さんが亡くなられたことを聞き、『台湾紀行』を読み返していて思わず
胸が詰まってしまったのも、司馬氏のそのような描き方のせいかもしれない。
 楊克智さんとは、日本李登輝友の会を設立する少し前の平成14年3月にお会いし
たことを憶えている。名刺の「楊克智」の名前の脇にカッコで「智雄」とあった
のが妙に印象に残っている。「台湾は創氏改名ではなく、改姓名といいました」
とおっしゃっていた。名利を求めない謹厳実直な方だった。また一人、台湾と日
本を愛する日本語世代の方が亡くなられた。心からご冥福をお祈りしたい。  
                          (編集長 柚原正敬)


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