「老台北」と靖国

石川台湾問題研究所代表 石川公弘

 前回に続き、私の敬愛する蔡焜燦氏の「台湾人と日本精神」から
引用する。

 1993年(平成5年)9月の戦友会は、私が現れると騒然となった。
私が戦友会で日本へやってくるのを覚えていた司馬先生が、その戦
友会に間に合うよう、私の名前が出る「老台北」を繰り上げ、第二
章にしてくれたからである。
 週刊朝日誌上での「台湾紀行」連載は始まったばかりで、「老台
北」こと蔡焜燦が登場するのは、本来のスケジュールではずっと後
の予定であった。日本に来るまで、私はそれが繰り上がったことを
知らなかった。
 この事実を戦友会の会場で知った私は、司馬遼太郎先生の心憎い
までの高配に胸が熱くなった。自分が誌面に登場することより、そ
んな粋な計らいが嬉しかった。戦友たちもまた、大はしゃぎだった。 
「岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊」の名前が、フルネームで登
場したのだから、無理もない。その夜、戦友たちと交わす酒がどれ
ほど美味かったことか。戦友会の後で、中隊長とご夫人が、私の宿
泊するホテルへやってきて、ご夫人が「わが中隊の光栄です」と、
泣きながら語ってくれたことを思い出す。

 そして、光陰は矢の如く流れて、2005年(平成17年)8月、「老台
北」はマイアミ大学院に通う愛孫と共に日本を訪れた。奈良教育隊
など思い出の地を巡った後、靖国に参拝するためである。名コラム
ニスト・石井英夫さんが、産経紙上に書かれたものから、その模様
を抜書きする。

 時代や人生に、区切りをつけるやり方はいろいろある。人それぞ
れの戦後に、終止符を打つケースもさまざまである。ことし78歳に
なるその台湾の老人は、晩夏八月の靖国神社へ昇殿参拝し、台湾少
飛会旗を奉納して、戦後60年つづけた元日本陸軍少年飛行兵たる人
生を“完結”させた。背筋をしゃんと伸ばし、老いの目を真っ赤に
しばたたせて……。

 晩夏の靖国の境内に、セミしぐれが降りそそいでいた。蔡さんは、
ポケットから一枚のカードを取り出した。靖国神社崇敬奉賛会の終
身正会員証である。
 「日本人は、われわれ台湾に多くの良いことを残してくれました。
なかでも教育勅語に象徴される日本精神は、今も台湾人の誇りであ
り、心のよりどころです」。それは最後の台湾少年飛行兵が、日本
人に伝える“遺言”であるかもしれない。」
              (ブログ「台湾春秋」8月23日より)


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