「天朝」観念の再興と文明の衝突  渡辺 利夫(拓殖大学顧問)

今朝の産経新聞は、台湾を併呑しようとはかる中国について、渡辺利夫拓殖大学顧問は歴史から導きだした「思想」で迫り、一方、6月から台北支局長に就いた西見由章記者は、中国が描く「第三の道」というシナリオ、つまり「戦略」から迫っていて読みごたえがあった。

下手な解説は抜きにして、まず渡辺氏が「正論」欄に寄稿した「『天朝』観念の再興と文明の衝突」の全文を紹介し、別途、西見記者の「中国が描く最有力シナリオ『脅迫的統一』」を紹介したい。


「天朝」観念の再興と文明の衝突渡辺 利夫(拓殖大学顧問)【産経新聞「正論」欄:2024年6月11日】https://www.sankei.com/article/20240611-35LMNEXGAFIX7MAHWYUCQBALPA/

 今世紀に入りしばらくして中国の経済的膨張、軍事的拡張があらわになるや「中国崛起(くっき)」という用語が広く流布するにいたった。

「中国台頭」と訳されるが、「中国勃興」の方が語感に合う。

アヘン戦争や日清戦争での敗北、列強による分割という屈辱を嘗(な)めさせられ、中華人民共和国成立後もなお一刻だに安定を得られなかった中国が、21世紀に入った頃から確かに崛起というにふさわしい高揚の時代を迎えた。

◆中国の台頭の裏で

 屈辱の近代史を超克し、かつての王朝時代の栄華を回復しようという復古主義的な愛国ナショナリズムが鬱勃としてきた。

“漢服復興運動”が広がりをみせている。

“漢服で身を正し、礼節を重んじ漢・唐の偉大な歴史を回顧し、屈辱に満ちた近代史を克服しよう”といった趣旨のテーマソングを高唱する復興主義運動であり、漢服を着用して民族意識を発揚し民族を団結させようというアイデンティティ運動でもある。

運動の中心層は若者であり、その民族意識の裏には中国崛起とともに強まる反欧米意識が潜んでいる。

習近平政権は中国が今後10年の間に「社会主義文化強国」となり、中国に固有の文化を前面に押し出そうと檄(げき)を飛ばしている。

「国潮熱」と呼ばれるスマートフォンや化粧品などの中国ブランドブームを促しているのだが、その底には民族意識と排外主義が確かにうずいている。

それにとどまらない。

復古主義的なナショナリズムには、中国の王朝史を彩ってきた「天下」「天朝」観念の再興願望が蠢(うごめ)いている。

博覧強記をもって知られる中国の歴史学者、葛兆光氏は、名著『完本・中国再考─領域・民族・文化』の結論部で次のように指摘している。

グローバルな普遍的価値よりも中国的価値を誇大に主張するならば大変面倒なこと、つまり「“天下”観念が激化され、“朝貢”メージを本当だと思い込み、“天朝”記憶が発掘され、おそらく中国文化と国民感情は逆に、全世界的文明と地域的協力に対抗する民族主義(あるいは国家主義)的感情となり、それこそが本当に“文明の衝突”を誘発することになるであろう」

◆空を超えて再現する

 中国においては儒教が国教化された漢代以降、皇帝という絶対的権力者が宇宙の主宰者である「天」の命を受け、有徳の「天子」として「天下」に君臨してきた。

この天子の朝廷が「天朝」であり、天子の威徳の及ぶ実効的な支配地域が中華(中原)と呼ばれる中心域であった。

朝貢国が拡大して中原から夷狄(いてき)にまで達するとともに周辺諸民族もまた天下の一部を構成することになった。

中華と周辺諸民族との価値の関係が華夷秩序である。

価値の秩序において最も高位にあるのが中華であり、この中華から外縁に向かって同心円状に広がり、中華から遠くに位置する人種、民族、国家ほど価値において低いという上下関係が想定されていた。

葛氏のいわんとすることは、最後の王朝・大清帝国の解体によって崩壊したはずのこの「天下」「天朝」観念が、中国崛起とともに時空を超えて再現されようとしており、もしそうなれば「文明の衝突」が避けられないという警世なのである。

現在の天朝が中南海である。

習近平氏は、過去のいずれの王朝の皇帝に比しても強大な権力をもって中国共産党総書記として君臨している。

新しき天朝は、共産党政治局常務委員が主要な官僚政治家として中枢に位置し、外縁を政治局委員が囲んで構成される。

この権力中枢部の中に習氏の一強体制に異を唱えるものはいない。

かつての集団指導体制は崩れ、習氏一人が「皇帝」となり、政治局委員はその「臣下」である。

習一強体制は習氏の終身のものとなろう。

天下に君臨する習氏の専制的意思決定を覆す政治勢力が党の中枢部から出現することはない。

◆多くのリスクを内外に誘発

 天朝観念とその制度化は、多くのリスクを内外に誘発する。

内には、内モンゴルがあり、チベットがある。

新疆ウイグル自治区の民族主義を武力をもって押さえ込むことは容易ではない。

香港はついに力によって反中国の動きを制圧されてしまったものの、台湾はどうなるのか。

習氏は武力統一の決断も選択肢の中にあると明言している。

台湾有事の危険な可能性のいかんは習氏の個人的決断にかかっているとみなければならない。

外に向けては、天朝観念が反西洋主義と相性がいいというリスクがある。

葛氏はこういう。

「多くの中国人は根深い“天下主義”と“天朝心情”を抱いている。

現在“中国台頭”のスローガンに突き動かされている多くの人々は、近代以来、西側(とくにアメリカ)が世界秩序を主導していることに反感を抱き、“天下主義”“天下システム”あるいは“新天下主義”を声高に叫んでいる」

 天朝、天下の再興は深刻な文明の衝突に帰結するというこの警世は、いよいよのリアリティをもってわれわれに迫る。

(わたなべ としお)


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