中国の台湾統合に理はあるのか  渡辺 利夫(拓殖大学顧問)

【産経新聞「正論」年頭にあたり」:2022年1月6日】https://www.sankei.com/article/20220106-JX2CDGXQ3RMENPCY6N2TBR3PMM/?423939

 中国が国共内戦を経て国家統一へと向かう過程において、唯一取り残した地域が台湾である。「祖国統一」は中国にとってなお未完のテーマであり、数ある中国の「核心的利益」の中でも最も重要なものだとされる。しかし、台湾が中国の一部だという中国政府の主張には、何か合理的に説明できる政治的あるいは法的な根拠があるのだろうか。

◆「幻の合意」の正体

 2000年4月に台湾政治大学で開かれたセミナーにおいて、行政院大陸委員会の一委員が次のように語ったといわれる。台湾側窓口機関と中国側窓口機関との1992年の香港協議において双方が「一個中国」を守ることに合意した。中国側は「一個中国」を堅持すると主張する一方、台湾側はその解釈は双方異なる(「各自表述」)と表明したという。合意文書は存在していない。当時の総統・李登輝氏、香港協議に参加した台湾側窓口機関トップの辜振甫(こ・しんぽ)氏のいずれもが合意の存在を認めていない。「幻の合意」である。

 台湾政治大学でのセミナーの直前に独立志向の民進党の陳水扁氏が当選したことに共産党は強い危機感を募らせ、強引な独自解釈によって「幻の合意」を確定的な合意であるかのようにいいくるめてしまったというのが真実なのであろう。陳水扁氏の後を襲った国民党の馬英九氏が外交休戦に転じて中台経済交流を促進、このことが合意にリアリティーを与えた可能性もある。「一個中国」に正当性はあるのか。中台関係の歴史の基本を押さえて考えるより他ない。

 台湾が福建省台湾府として初めて中国の領土に組み入れられたのは1684年のことである。清国政府が台湾を領有したのは、ここが反清勢力の拠点となることを防ぐという軍事的関心のゆえであった。政治は不在であり、開発とはまるで無縁であった。台湾は天子の徳の及ぶことのない「化外の地」であり「蕃地(ばんち)」であった。領有と同時に福建・広東から海峡を越えて台湾に移住してきた人々が、マレー・ポリネシア系の先住民を山間地に追いやって平地を占有した。移住民は原籍を異にする「族群」であり、「械闘(かいとう)(族群間の武力闘争)」が恒常的であった。

◆米中覇権争奪の最前線

 日清戦争での勝利により台湾は日本に割譲され、ようやくにしてこの島の政治統合が可能となった。しかし、第二次大戦で日本が敗北、台湾は日本から切り離され、その後は国共内戦に敗れた国民党がやってきて新しい支配者となった。50年余の日本時代に秩序と規範を身につけた台湾住民が「本省人」であり、大陸から逃亡してきた国民党の軍人・軍属などからなる人々が「外省人」である。国民党により専制的な政治体制が敷かれ、台湾は2つの社会集団の確執する「省籍矛盾」の時代に入った。暗黒時代を経て台湾が民主化を迎えたのは、李登輝氏が台湾初の民選総統となった1996年以降のことである。

 しかし、改革・開放路線下で経済力と軍事力を強化した中国が台湾統一への臍(ほぞ)を固めたのもこのあたりからであった。96年3月の総統民選を阻止しようと中国軍はミサイル発射実験を含む大規模な軍事演習計画を発表した。これに対して米軍が空母2隻を主力とする機動部隊を派して事態を沈静化させたものの、この時期以降、台湾海峡は東アジアにおける米中覇権争奪のフロントラインとなってしまった。

◆中国には自己映す鏡ないか

 チベット自治区、内モンゴル自治区、新疆ウイグル自治区においていよいよ強力な同化政策が進められ、香港の「一国両制」はもはや風前の灯火(ともしび)である。残るは台湾のみとなった。これを統合せずして「中華民族の偉大なる復興」の夢を完成させることはできないのであろう。習近平氏は最高権力者たる国家主席の地位を永続させることに成功した。海峡での戦いに米軍が参入してもなお中国が優位を保てると習氏が判断した時点で、本格的な台湾有事が発生する可能性大である。

<中国の知識人は根深い「天下主義」と「天朝心情」を抱いている。現在「中国台頭」のスローガンに突き動かされている多くの人々は、近代以来、西側(とくにアメリカ)が世界秩序を主導していることに反感を抱き、「天下主義」「天下システム」、あるいは「新天下主義」を声高に叫んでいる>

 葛兆光(かつ・ちょうこう)氏は『完本 中国再考』の中でそう指摘している。エリートと国民の中に巣食うこのような心情を背景に、またその心情を煽(あお)ってチベット、モンゴル、ウイグルなど少数民族を圧制し台湾統一を図って、共産党権力を「天下」に顕示したいという情動が共産党指導部の胸中を騒がせている。中国には巨大な自己の姿を映し出す鏡がないのか。「文明の衝突」は肥大化した自己イメージをもつ国家の衝動によって引き起こされるものにちがいない。(わたなべ としお)

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