時に断絶したからだ。
もう少し詳しく述べれば、当時の大平正芳外務大臣が北京において「日中関係正常化の
結果として、日華平和条約はその存在意義を失い、同条約は終了したと認められるという
のが日本政府の見解である」と表明し、一方的に同条約の失効を宣言したことによる。
しかし、日本は一方で台湾との実務レベルでの交流関係を維持するため、その関係を
「非政府間の実務関係」と位置づけ、同年12月8日、外務省と通産省(現経済産業省)の所
管による「財団法人交流協会」を発足させている。
台湾側のカウンターは、外交部(外務省に相当)直属の「亜東関係協会」となり、日本
の出先機関が駐日本台湾大使館に相当する「台北駐日経済文化代表処」となった。「財団
法人交流協会」の出先機関が駐台湾日本大使館に相当する「交流協会台北事務所」だ。そ
れが現在まで続いている。
しかし、以前から疑問に思っていた。「交流協会」という名称のことだ。交流というの
はどことの交流なのか、名称からはさっぱり分からない。これは、名称であっても名称と
は呼べない。現在、この「交流協会」や「交流協議会」などの名称でNPO法人や財団法
人、社団法人で登録しようとしても、まず無理だろう。
なぜこんな名称となったのか──。「日華平和条約」だったのだから「日華交流協会」
とか「日台交流協会」となるはずなに、どうしてこういう名称になってしまったのだろう。
この謎を解き明かしているのが、オランダ大使やブラジル大使を歴任後、平成17(20
05)年7月から同20(2008)年7月までの3年間、交流協会台北事務所代表を務めた池田維
(いけだ・ただし)氏だ。
池田氏は一昨年9月に出版した著書『日本・台湾・中国 築けるか新たな構図』(産経新
聞出版)で、この民間機構の名称について「当初『日華交流協会』という名称にしようと
したが、中国政府がこれに反対した」と明かしている。
また「当時のことであるから『日台交流協会』という名称は北京ばかりでなく、台北の
蒋介石政権にとっても受け入れがたいものだったにちがいない」とも述べ、名称が単なる
「交流協会」に落ち着いた経緯について記していた。
やはり、中国が反対したのだ。池田氏の前任の内田勝久(うちだ・かつひさ)氏が台湾
で「天皇誕生日祝賀会」を催そうとしたとき、顔を真っ赤にして「断固反対する。今後ど
んなことになろうと、責任はすべて日本にある」と言って脅してきたことを思い出す。李
登輝元総統の最初の来日にも、中国が烈火のごとく怒って「絶対に反対する」と脅してき
たことも、未だ記憶に新しい。
ところが、池田氏は交流協会台北事務所代表に就任し、7月に赴任することになるが、タ
クシーに乗って「交流協会」と告げると運転手も分からなかったという。そこで、東京の
交流協会本部と所管官庁の許可を取って「日本交流協会台北事務所」と呼称するようにし
たという。
台北事務所の名称は変わったものの、東京・六本木にある本部の名称は未だに「公益財
団法人交流協会」となっている。これはどうして改称しないのだろう。これでは、どこと
交流する法人なのか不明のままだ。
池田氏はこのことについても触れ、下記のように記している。
≪より抜本的に、たとえば、「日台交流協会」という名称に変えようとすれば、定款を改
正する必要がある。そうすれば、「日本は対台湾政策を変えようとしている」として……
中国政府はほぼ間違いなく強く抗議してくるだろう。≫
定款の改正などは、いささか手間はかかるが、法人でもどこの民間企業でもしているこ
とだ。重要事項であっても、必要に応じて変えていくものだ。池田氏が指摘したいのは定
款のことではなく、中国による「強い抗議」のことだろう。こういう中国からの抗議に、
政府や外務省は立ち向かえるのか、と暗に問うているのだ。
日本は現在、ある病気にかかっている。それは「中国を刺激するな病」だ。この病気に
ついては、中国にODAをと唱える中国大使が未だにいることを思い出すだけで十分だろ
う。お金を貢げば中国をなだめられるという感覚がすでにオカシイ。外交感覚からも、日
本の国民感情からもおおきくかけ離れている。
日中国交樹立40周年を迎えたが、日本は未だに「日中復交三原則」に基づく「日中共同
声明」に呪縛され続けている。
名は体を表す。名称の問題は非常に重要だ。そのために日本李登輝友の会は「台湾正名
運動」に取り組んできた。日本が対中国政策をきちんと立てるためには、対台湾政策を立
てなければならない。対台湾政策から中国の影響をできるだけ排除しなければならない。
その第一歩が「交流協会」の名称を「日台交流協会」に変更することだ。これこそがま
さに「台湾正名運動」と言えるだろう。
そして、日本は未だに中国を慮って、官庁の役人は課長までしか台湾に行けないという
バカバカしい外務省内規を後生大事に守っている。台湾との関係を「非政府間の実務関
係」と位置付けながら、実務のトップレベルにある局長も事務次官も台湾に行けないのだ。
「交流協会」の名称を「日台交流協会」に改称すると同時に、外務省内規の改正もすべ
きであろう。