本誌前号で、台湾を取り囲むように行われた中国軍による演習と称する台湾威圧行動について、防衛研究所の門間理良(もんま・りら)地域研究部長の「台湾有事が日本の有事にもなりうる」とのコメントを掲載した毎日新聞の記事をご紹介した。
中国人民解放軍国防大学を修了し、在中国日本大使館の防衛駐在官も歴任する「自衛隊きっての中国ウォッチャー」だという、山本勝也(やまもと・かつや)防衛研究所教育部長もまた「はからずも今回の軍事演習によって『台湾有事は日本有事』であることを中国自身が日本社会に明らかにしたようにも見える」と、門間氏とほぼ同じ見解を「東洋経済ONLINE」で述べている。
山本氏は、中国の大規模軍事演習が示唆することとして「中国軍の武力の行使、威嚇に対するハードルの低さ」や「台湾の一般市民の生命や財産を考慮していない」、「中国は日本との主張の相違に対する配慮が薄い」の3点を挙げ、中国の現在の考え方は平時ではなく戦時という認識に立つもので、「国連安保理常任理事国、核大国、世界第2の経済大国であることをもって中国に対するある種の期待を抱くことは慎むべき」と結んでいる。
下記にその全文をご紹介したい。
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山本勝也(やまもと・かつや)防衛省防衛研究所 教育部長一等海佐。防衛大学校卒業。中国人民解放軍国防大学修了、政策研究大学院大学(修士)。護衛艦しらゆき艦長、在中華人民共和国防衛駐在官、統合幕僚監部防衛交流班長、海上自衛隊幹部学校戦略研究室長、アメリカ海軍大学連絡官兼教授、統合幕僚学校第1教官室長等を経て、現職。海洋安全保障、中国の軍事戦略が専門。
—————————————————————————————–�”中国ミサイル��ぢ日本のEEZ落下��ぢが示す日本の盲点思い描いている価値観とかなりギャップがある山本 勝也 : 防衛省防衛研究所 教育部長【東洋経済ONLINE:2022年8月10日】https://toyokeizai.net/articles/-/610210
◆中国の大規模軍事演習が示唆すること
今回の軍事演習は、海上封鎖、空爆、強襲上陸などさまざまな軍事作戦が、陸海空、ロケット軍などあらゆる軍種を動員して行われた大規模な軍事演習だった。また時期を前後して、台湾に対する大規模なサイバー攻撃も行われている。
中国の国内報道にみられるその順調な演習活動から類推すれば、今回の大規模軍事演習は、従前十分に練られた計画であることが容易に想像できる。この軍事演習が、中国が台湾を武力統一する場合に採用するであろう軍事作戦計画の1つの雛型であることは間違いないだろう。
中国国防大学教授の孟祥青少将は、今回の軍事演習によって中国の統合作戦能力、指揮管制能力の向上が明らかになったことを誇っている。当然、周辺海空域に展開しているアメリカ軍は今回の演習を通じてさまざまなデータや教訓を収集できたのではないだろうか。
一方で、今回の台湾周辺で展開した中国の大規模軍事演習は、アメリカ軍のみならず、われわれ日本社会にも大きな教訓を示唆している。具体的には、現代日本社会の思い描く価値観とかなりギャップのある価値観・思考体系を中国が有していることを、否でも応でも直視せざるをえなくなったということだ。
そのギャップの1つ目は、武力の行使、威嚇に対するハードルの低さである。
国連憲章では、武力による威嚇やその行使を慎むことを加盟国に求めている。こうした国際約束を承知のうえで、中国国防部の報道官や前述の孟少将は、今回の実弾射撃を含んだ軍事演習の目的が台湾独立派に対する警告であり、アメリカなど外部勢力への威嚇であることを明言している。
近年、FDO(flexible deterrent options:柔軟抑止選択肢)といった危機発生時に部隊の展開などを通じて相手側に意図と決意を伝えて抑止を図ることが行われている。今回の中国の軍事演習に備えたアメリカ空母「ロナルド・レーガン」の周辺海域への派遣もその1つと言える。こうしたFDOは、一方で不測の衝突や第三者への影響を考慮して行われるものである。
孟少将の解説によれば、ミサイルが弾着した訓練海域の1つが、沖縄に近いことを理由に選定されたことを挙げている。つまり、今回の弾道ミサイル発射は、これまで中国が行ってきた海軍や海警の艦艇による領海侵犯や日本周辺海空域における軍艦や軍用機の偵察航行とは異なるステージ、実弾を用いた日米への威嚇、警告であったということだ。
はからずも今回の軍事演習によって「台湾有事は日本有事」であることを中国自身が日本社会に明らかにしたようにも見える。
◆中国は台湾の一般市民の生命や財産を考慮していない
ギャップの2つ目は、中国は台湾を自国の一部であり、台湾市民も国民であると主張してきたにもかかわらず、中国は台湾の一般市民の生命や財産を軽視している。否、考慮していないということだ。
中国は弾道ミサイルの一部を、台北などの人口密集地域の上空を越えて台湾の東側にある太平洋上に弾着させた。今回のミサイルは洋上の敵艦艇を攻撃するためのものではなく、都市や基地など地上の施設を破壊するためのミサイルとみられている。
演習は実際の戦闘と異なり一定程度の安全係数、とくに市民への被害は考慮されるべきはずであるのだが、中国国民の一部であるとする台湾市民の犠牲よりも威嚇を優先した今回のミサイルの飛翔経路は、中国が考える国民の生命・財産の重さを如実に表している。
孟少将はミサイルの命中精度の高さを誇っているが、威嚇のためのミサイルが万が一、人口密集地に落下した場合の事態はあまり考慮してはいないのだろう。以前(『ロシアの侵攻で増す懸念��ぢ台湾有事��ぢ日本への影響』)でも述べたが、台湾には人民解放軍が守るべき「人民」が存在しないからなのかもしれない。
今回の演習の発端となったと中国が主張するペロシ・アメリカ下院議長の最も強く主張する「人権擁護」とまったく真逆の中国の思考、中国大陸の台湾市民への視線と国際社会の台湾市民への視線とのギャップをあらためて台湾市民は実感したに違いない。
蛇足ではあるが、ミサイル発射の数日前に、中国のロケットの残骸がフィリピン沖に落下した。フィリピンに対する中国の公式の謝罪や遺憾表明は確認できていない。中国が国際社会に落下情報を共有せず無制御の状態で落下させたとの疑いのあるこの長征5Bロケットと、演習で発射された東風ミサイルが兄弟シリーズのロケットであることは国際社会の常識である。
◆日本との主張の相違に対する配慮が薄い中国
価値観・思考体系のギャップの3つ目は、不測の事態を防止し、2国間の緊張状態をエスカレーションさせないために日本は抑制的に対応するが、中国は日本との主張の相違に対する配慮が薄いということだ。
今回、5発の弾道ミサイルが波照間島の近傍、日本の排他的経済水域(EEZ)内に弾着して、近傍で漁業などに従事する日本国民を恐怖に陥れた。いまだ北朝鮮ですら試みたことのない、日本のEEZ内への弾道ミサイル発射について、中国は当該海域を「日本のEEZであるとの主張を受け入れない」(華春瑩・外交部報道局長)と表明して、日本の批判を一顧だにしなかった。
そもそも他国のEEZの内側であっても、相当の配慮がされれば軍事演習を行うことを妨げられるものではないが、この華春瑩・報道局長の発言は、対日外交に対する中国の姿勢や思考を明確に表すものである。尖閣諸島や日中中間線付近で中国が一方的に採掘を進めるガス田に対する、日本の抑制的な対応ぶりとは好対照であることは誰の目にも明らかであろう。
日本の主張を否定したうえで、日本への威嚇、警告であるとしてあえて日本が主張するEEZ内に弾道ミサイルを弾着させる。日本にはできない芸当である。
ここで忘れてはならないのは、中国は、沖ノ鳥島周辺の日本のEEZを否定し、東シナ海では沖縄トラフや五島列島の目前まで東シナ海ほぼ全域が中国のEEZであり、日本のEEZではないと主張していることである。
以上をまとめてみると、やはり台湾有事を空想上の対岸の火事として眺めているわけにはいかないということだ。中国は台湾に対する武力侵攻計画を実際に演習できる段階にまで準備しており、少なくとも今回明らかになった作戦では、日本にも影響が及ぶことになる。
そして、たとえ台湾有事に至らない平素の状況にあっても、中国は、国益、核心的利益のためには武力の使用や武力を用いた威嚇に対するハードルが極めて低いということである。
尖閣諸島の日本政府によるいわゆる「国有化」を理由に尖閣諸島周辺海域における中国海軍および海警の活動を大幅に増大させてきた事例など、これまでの中国の対応ぶりから類推すれば、今回の演習で得られた実績、すなわち台湾周辺、日本やフィリピン近傍における実弾射撃を伴う軍事活動、台湾の人口密集地を飛び越えるミサイル射撃など、これまでよりもさらに一歩進んだ攻勢的な軍事活動の常態化を中国は推し進めようとするだろう。
今後、中国の核心的利益とされる問題で日本と対立した場合、尖閣諸島領海内や、沖縄トラフ近傍の海空域で実弾射撃を伴う武力による威嚇を行うことは、中国の思考体系からすれば、それほどハードルの高いものではないのかもしれない。
◆少なくとも平時ではない
今回のミサイル発射を含む大規模軍事演習では、台湾周辺海空域の民間船舶や航空機が迂回を余儀なくされ、日本漁民の漁業活動にも影響が出ている。このように有事に至らない平素の状況において真っ先に犠牲となるのは、何の罪もない市民である。
グレーゾーンとは純然たる平時でも有事でもない幅広い状況を表現したものである。われわれは有事に至らないまでの平時の延長線上にそれがあるかのように見ているが、市民への被害や武力使用のハードルの低さなど、中国の思考体系や価値観をもとにあらためて彼らの行動を見てみると、少なくとも平時ではないことは明らかだ。
中国とロシアを単純に同一視するわけにはいかないが、ロシアのウクライナ侵攻を目にした今日の日本社会からすれば、国連安保理常任理事国、核大国、世界第2の経済大国であることをもって中国に対するある種の期待を抱くことは慎むべきなのであろう。
※本論で述べている見解は、執筆者個人のものであり、所属する組織を代表するものではない。
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