神話の地から、日本酒で世界へ 日台ゆかりの米使い 台湾出身の陳韋仁さん(41)

神話の地から、日本酒で世界へ 日台ゆかりの米使い 台湾出身の陳韋仁さん(41)

【毎日新聞:2022年1月8日】https://mainichi.jp/articles/20220109/ddl/k32/040/236000c

 甘い香りの湯気がもくもくと立ちこめる中、炊きたての米を手に取った。「悪くない」とうなずいたのは台湾出身の陳韋仁(ちんいにん)さん(41)だ。島根県出雲市に開いた酒蔵で初めての米蒸しに挑んだ12月。外は山陰の厳しい寒風が吹きすさぶ。冷え切った作業場と、こうじ造りのため30度近くまで温めた部屋を往復する。「蔵人(くらびと)は心臓が強くないといけない」と笑った。台湾と日本にゆかりのある米作りから始めて日本酒の世界に飛び込み、その魅力を世界へ届けようとしている。【小坂春乃】

 陳さんは台南市の都会育ち。子供の頃から神話の本を読むなど日本の文化に親しんできた。大学卒業後は日系企業の社長秘書として働き、神話と言えば島根というわけで28歳で島根大(松江市)に留学。歴史や哲学を学んだ。ある日、所属していた剣道部の先輩に勧められた日本酒の深遠な味わいに衝撃を受け、さまざまな銘柄を飲み比べるようになった。「獺祭(だっさい)」を手がける山口県岩国市の旭酒造に営業として入社。一度は業界から離れ、東京の出版社で編集を担ったものの、やはり日々表情の変わる酒造りの面白さが忘れられない。松江市の老舗・李白酒造に今度は製造に携わる蔵人として入社し、酒の世界に舞い戻った。

 やがて日台双方を知る自分ならではの日本酒を造りたいとの思いが募る。戦前の日本統治時代、暑い台湾で育つようにと島根原産の「亀治(かめじ)米」などを元に改良された食用米「台中65号」の存在を知り、日台交流の象徴となるこの米を使いたいと一念発起。種もみ探しから始め、台湾と気候が似ていることから1995年ごろまで沖縄県で栽培が奨励されていたことを突き止めた。地元の農家に種もみを譲ってもらい2017年春に栽培を始めた。

 松江市内で借りた7アールの田んぼで最初に収穫した米は約500キロ。これでオリジナルの酒を造るために李白酒造を退社した。今度は酒造りの設備を貸してくれる酒蔵を探し歩き、島根県雲南(うんなん)市や佐賀県有田町などで間借りしては「台中六十五」と銘打った酒を細々と世に出してきた。米国やフランスなどで日本酒コンテストに出品し、国ごとの味の好みの違いを探る努力も重ねた。だが日本国内の20年度の一般向け清酒製造量はピークだった1973年度の3割以下に落ち込んでおり、本格的な参入はハードルが高い。

 そこへ国税庁が2021年4月に「輸出用清酒製造免許」を新設した。日本酒の輸出額は和食ブームも相まって伸びており、10年の約80億円が20年には約240億円に。それに伴って現地生産の粗悪品も出回るようになっているという。まるで自分の背中を押すかのような出来事。陳さんは輸出専用の免許を中国地方で初めて取得し、台湾を含むアジアを中心に真の日本酒を送り出す考えだ。

 日本と台湾の交流拠点になりたいとの願いを込めて酒蔵の名は「台雲(たいうん)酒造」。雲は出雲から取った。陳さんは社長であり、酒造りの責任者「杜氏(とうじ)」でもある。初めて自分の城を持ったが、仕込みの合間に税務処理を習うため商工会にバイクを走らせるなど苦労は絶えない。「酒を造るだけじゃ済まないですね」と苦笑いだ。古巣の李白酒造の田中裕一郎社長(41)は「日本に来て、日本酒にほれて、一生の仕事にしようとしている。業界全体にとって喜ばしい」とエールを送っている。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。

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