早く台湾に行きたい!  林 翠儀(自由時報東京特派員)

早く台湾に行きたい!  林 翠儀(自由時報東京特派員)

林翠儀(自由時報東京特派員)早く台湾に行きたい! 新型コロナで日本の台湾ファン「哈台族」に台湾ロスの危機【nippon.com:2020年7月17日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00891/

 新型コロナウイルスの世界的な流行により、現在、各国間の往来が制限されている。台湾でも外国からの入国はほとんど緩和されておらず、日本と長期にわたり自由な往来ができていない状況だ。そのため、これまで定期的に台湾旅行を楽しんでいた台湾ファンの間に「台湾ロス」が広がっている。

◆新型コロナウイルスで「台湾ロス」に

 「私の前世は台湾人だったかもしれない」そう話す安村美佐子さんは、すっかり台湾の魅力に取り付かれてしまった「哈台族(ハータイズゥ:台湾ファン)」だ。68歳になる安村さんは、1998年に初めて台湾を訪れてから20年余り、他の国には見向きもせず、台湾を訪れること80回以上のベテラン哈台族である。最も多いときで2カ月に1度は台湾に行っていた。

 だが、この2020年は新型コロナウイルスの感染拡大により、安村さんの台湾旅行計画はほとんど泡と化してしまったようなものだ。まだ日本と台湾の間で自由に往来ができた2月以来、安村さんは一度も台湾を訪れていない。彼女が台湾で充電したパワーはとっくに使い果たしてしまった。

 最近の安村さんは台湾を思うあまり、気分が落ち込むほどである。日本のスーパーで台湾産のパイナップルを見付けたり、道行く人の中から中国語が聞えてくるだけでうれしくなったりするほど、安村さんは台湾を恋しく思っているのだ。彼女の友人も似たようなもので、安村さんはこの心情を「台湾ロス」と呼んでいる。

 安村さんは笑いながら、台湾を好きになったばかりの頃は、まるで何かに取り憑かれたようだったと話す。たとえば新聞の見出しに「台」という文字を見かけただけでドキっとしていたそうだ。しかし、よく見ると実際は台湾の「台」ではなく、台風のニュースだった。「以前は今ほど日本のメディアに台湾のニュースがなかったものだから」

◆安村さん、初台湾での出会い

 安村さんの台湾熱は、日本好きの台湾人がそうであるように、一歩足を踏み入れたら抜け出せない沼にはまってしまったかのようである。しかもその沼は、はまればはまるほど深くなる。沼にはまり始めた頃、安村さんはガイドブックを見て、そこで紹介されている人気観光スポットやレストランを巡ったり、話題のお土産を買ったりして台湾を楽しんでいた。その後、中国語を勉強し、台湾のテレビ番組を見たり、日本で行われる台湾関係のセミナーにも参加したりするようになったそうだ。ここ数年は、台湾の山村や離島を訪れて、先住民族の祭りにも参加している。台湾の文化と歴史に関心を持つようになった安村さんは、日本人により結成された『台湾世界遺産登録応援会』にも加入し、今年、同会の理事に選出された。

 そんな安村さんは、1998年、初めて台湾に行ったときのことが忘れられないという。テレビで台湾旅行の広告を見たのがきっかけだった。当時、日本では新婚夫婦のハネムーン先としてハワイが人気だったが、広告では中高年夫婦向けに「台湾でのフルムーン旅行」が宣伝されていたのだ。

 台湾旅行に興味を持った安村さんは娘さんと一緒に台湾への旅に出ることにした。その旅程の1つとして、2人はランタン飛ばしで有名な「十分(シーフェン)」を選んだ。十分へはガイドブックをもとに、列車で平溪駅に行き、途中下車して徒歩で目的地に行こうとしたそうだ。だが、安村さんらは山の中で道に迷ってしまった。心もとなく山道をとぼとぼと歩いていると、1台のトラックがやってきたという。トラックは安村さん親子を抜き去ったかと思うと、すぐにUターンしてきたそうだ。そして運転していた中年男性が、どこに行くのか尋ねてきた。

 当時、中国語が話せなかった安村さん親子は、地図を指して何とか男性に状況を伝えようとした。すると、安村さんらが道に迷っていることを察した男性は、2人にトラックに乗るように言ってきたのだ。安村さん親子は半信半疑のままトラックに乗った。山の中をぐるぐる回るように走るトラック。山道を進むにつれて安村さんは、「もしかして娘は売り飛ばされるのではないか、自分は殺されるのではないか」と不安になってきたそうだ。

 だがその心配は見当違いだった。男性は2人を目的地に送り届けたばかりか、帰る時間を尋ねられ、その時間にトラックを降りた場所で待つように伝えてきたのだ。そして、観光が終わった安村さん親子を待っていたのは、1台のタクシーだった。男性は2人のためにタクシーの手配までしてくれていたのだった。

 安村さんは「男性は帰り道のことも心配してくれていました。こんなこと日本では考えられません」と話す。この出来事について安村さんは1つ後悔があるという。安村さんは、道に迷った焦りのあまり男性に名前を尋ねることも、車のナンバーを控えることも失念していたのだ。以来、安村さんは台湾に行くときには必ずちょっとしたお菓子の包みを持っていくことにしている。道で助けてもらったり、レストランで親切にしてもらったりしたときに、感謝の気持ちを込めてお礼として渡すのである。

 さて安村さんは初めての台湾旅行で、台北市街地でも迷ってしまった。そのとき2人を助けてくれたのは、なんと7歳の女の子だ。少女は2人に「ここで待っていて」と言い、ほどなくして彼女の祖父を連れてきた。女の子の祖父は日本語を話すことができ、安村さんらを連れて道を案内してくれたそうだ。

 安村さんは少女を見て、こんな小さな子供さえ積極的に人助けをするとは、台湾はなんというお国柄なんだろう、日本はとても及ばないと心底驚いたそうだ。初めての台湾旅行を終えた安村さん親子は、帰りの飛行機の中でお互いに「また台湾に行きたいね」と話したという。

◆アイドルと台湾人の笑顔で元気をチャージ

 実は、安村さんはベテラン哈台族であるほかに、「台湾アイドルの追っかけ」という顏も持つ。彼女はアジアに旋風を巻き起こしたアイドルグループF4のメンバーであるジェリー・イェン(言承旭)の大ファンなのだ。きっかけは、2001年の訪台時にホテルでたまたま台湾版・花より男子こと『流星花園』のドラマを見たこと。安村さんは、まだ言葉はよく分からなかったというが、すぐに劇中に登場するF4の面々に魅了されてしまった。

 この『流星花園』は2003年に日本でもリリースされた。改めて日本語字幕で『流星花園』を見たと安村さんは、すっかり同作に夢中になり、何度もレンタルDVDを借りたそうだ。そのはまりぶりは、レンタルDVD店のスタッフから「もう買ってしまった方が安くつきますよ」と言われるほどだったという。

 当時、日本では韓流ドラマ『冬のソナタ』が流行していた。日本のマダムたちが「ヨン様」ことペ・ヨンジュンに熱狂していた頃だ。安村さんはそんな世の中の流れとは別に、『流星花園』に出演するジェリー・イェンに夢中になっていった。『流星花園』を通し、F4は日本でも人気が出てきたが、意外なことに安村さんはファンクラブには入っていなかった。ファンクラブがあることを知らなかったのだ。しかし、ある日、安村さんはたまたま新聞でジェリー・イェンの来日情報を知る。出勤前だったが、安村さんはすぐに電話をして、幸運にも横浜で行われるイベントのチケットを購入することができたのだった。

 安村さんはこう振り返る。会場でジェリー本人を見たとき、心から「地球上にこんなに素敵な人がいるなんて」と思ったそうだ。こうやって、安村さんはまた新たな「アイドルの追っかけ」という沼にはまっていった。ジェリーのファンクラブや応援団に加入し、台湾にまでジェリーを追いかけに行くようになったのである。安村さんは強調する。こうなったのも元をたどれば、あの初めての台湾で受けた親切のおかげだ、と。

 今でこそ2011年の東日本大震災の際、台湾から日本へ多額の義援金が送られたことを多くの日本人は知っている。だが、当初はメディアも日本政府もそのことに触れることはほとんどなかった。安村さんは、日本で大きく報道される前に台湾からの義援金のニュースを知り感動していたという。

 そんな中、百貨店の高島屋は、海外の店舗を通して各国による被災地支援に対する感謝広告を出していた。だが、高島屋の台湾の店舗では感謝広告が実施されなかったというのだ。当時、横浜高島屋で働いていた安村さんは、すぐに部長に抗議しに行ったそうだ。そこで判明したのは、部長は台湾から義援金が送られたことを知らなかったということだった。

 日本人の「世界最大の義援金を送った台湾へ感謝の気持ちを示そう」という動きは、民間から始まった。日本人有志が立ち上げた「謝謝台湾計画」では、台湾の新聞に感謝広告を出すためにSNSで寄付が募られ、台湾の主要2紙に「ありがとう、台湾」と記載された広告が掲載された。安村さんはその広告を印刷してポスターにし、台北のランドマークタワー「台北101」に向かったそうだ。台北101で行われていた時計展のPRのためにジェリー・イェンが来場していたのだ。安村さんら日本のファンはポスターを取り出し、ジェリーに向かって上層階から振って見せたのである。彼女らの存在に気付いたジェリーは、手をあげてサムズアップをして見せた。その一連の様子はメディアのカメラにとらえられ、新聞とテレビで紹介された。

 実は、2001年に安村さんは離婚を経験している。「この年になっての離婚は気落ちするものでしょう」と安村さんは話す。しかし、台湾とジェリー・イェンがいれば彼女は元気なのだという。安村さんにとって台湾人とジェリー・イェンの笑顔が最大の救いなのだ。考え方を変えれば、離婚したことで自由な時間を得たとも言える。自由に台湾に行ける。安村さんは台湾への独自の旅行計画を立て始めた。そんな風に頑張る自分の姿を見ると、安村さんは以前より自分のことを好きになった気がしたという。

◆台湾旅行の醍醐味

 安村さんは彼女が台湾旅行の計画を立てるために長年使ってきたノートを披露してくれた。そこには安村さんが台湾で行きたい場所、食べたいもの、見たい風景がびっしりと書き込まれている。安村さんは、「私のような世代は書いて考えるのです」と話す。そして安村さんの「旅行」とは、ノートに書き込むところから始まると教えてくれた。ガイドブックを見ながら、時刻表を調べる瞬間がとてもワクワクするそうだ。そして安村さんにとって旅行の最も興奮する瞬間は、旅行カバンを持ち横浜駅から空港に行きのバスに乗る時だという。飛行機に乗ったとき、旅行はもうフィナーレに近づいているのだ。

 台湾に出会う前、安村さんはハワイや上海など多くの都市を旅行したそうだ。しかし初めて台湾に行ってからというもの、彼女は他の国に行く気が全く失せてしまったという。彼女はハッキリとした口調で「(私にとって)他の国は台湾には及ばないの」と話す。安村さんにとって、台湾はちょっと飛行機に乗っただけで着く、リラックスでき安心できる場所。そして台湾にしかないな熱気がこもった空気。安村さんは台湾に降り立つ度に「帰って来た」という感覚に陥るのだという。

 安村さんは、日本人の中には台湾に着いたとき安村さんと同じように「帰ってきた」という感覚を覚える人も少なくないと話す。たとえば去年、安村さんの同僚が南部・高雄市の「世界一美しいゲストハウス」という声もある「あひる家」に泊まろうとしたとき、その同僚は道に迷ってしまったそうだ。その際、一人の親切な男性が道を案内してくれたという。その同僚は帰国してからというもの「台湾は第2の故郷です」と言うようになったそうだ。

 安村さんは台湾に行けないときは、日本で台湾の姿を探してパワーを充電している。3年前、彼女は錦糸町で行われた台湾在住の日本人作家・片倉佳史さんの講演を聞きに行き、片倉さん夫妻と知り合った。そこで安村さんがその年の6月に台湾一周旅行を計画していることを話すと、片倉さん夫妻から多くのアドバイスを受け、それをきっかけにすっかり仲良くなったのだ。

 その後、片倉さんが日本で講演等を行う際、安村さんはボランティアとして現場を手伝うようになった。そしてあるとき安村さんと一緒にボランティアをしていた「台湾世界遺産登録応援会」の幹部と知り合ったのだ。安村さんは応援会のことを知るやいなやすぐ会員になった。安村さんは、「台湾はこんなに素晴らしい場所があるのに、多くの(日本の)人は知りません。台湾はただの観光地ではありません。もっと多くの人に深く知ってほしいですね」そして「そしてその歴史を知ることで、台湾と日本の関係を知ることができると思います」と話した。

◆台湾の民俗文化と先住民族文化の魅力

 ここ数年の安村さんの旅は、どんどん地方へ足を伸ばし、どんどん深みにはまっていっている。あるとき彼女はドキュメンタリー映画『台湾萬歳』の酒井充子監督と共に台湾本島の南東沖に浮かぶ離島・蘭嶼(らんしょ)を訪れた。蘭嶼は先住民族のタオ族が暮らす島だ。台湾東海岸の緑がかった青い海と満天の星空を見た安村さんは「ここはこの世の天国だ」と感じたそうだ。その旅で出会ったタオ族の青年はとても美しかった。安村さんは、ジェリー・イェンにちょっと申し訳なくなるくらいその青年に見とれてしまったという。安村さんは思い切って、一緒に写真を撮ってもらえないかお願いしたそうだ。するとタオ族の青年は快く応じてくれた。彼が安村さんの目を引いた理由は、何もそのルックスだけではないだろう。生まれて30年、一度も台北に行ったことがないという青年の純朴さではないだろうか。

 また、安村さんはタクシーをチャーターして台湾最南端の県・屏東県にある秘境「霧台郷」へ行ったことがある。目的は、石を平たく切り取って重ねた「石板屋」という伝統的な先住民族の家屋を見に行くことだ。集落には石板屋のほかに美しい教会もあった。後に安村さんは教会と台湾先住民族の関係を研究することになる。

 それまで安村さんが知っていた台湾の先住民族と言えば魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督による『セデック・バレ』くらいだった。だが安村さんは先住民族に関する資料や文献を読んで以来、先住民族が培ってきた文化・精神に強い関心を持つようになったのだ。

 安村さんは片倉佳史さんの妻で作家の片倉真理さんと共にサイシャット族の祭り「矮霊祭(パスタアイ / こびと祭り)」に参加したことがある。祭りでは3日連続で踊り続ける。パスタアイが終わると、一同は列車に乗って南の島のリゾート地「小琉球」へ「焼王船」の儀式を見に行く。 焼王船とは、屏東県の東港で行われる奇祭のクライマックスで行われる儀式で、船を燃やし「王爺」という神を天に送り返すというものである。パスタアイは2年に一度、 焼王船は3年に一度執り行われる。この年は2つの祭りが同じ年に行われるタイミングだったのだ。安村さんは2020年10月のパスタアイにも参加したいと話していた。

 新型コロナウイルスの影響により安村さんの台湾への旅は止まったままだ。彼女が最近よくすることは、雑誌の台湾特集を見て、「脳内台湾旅行」をすることである。ミスタードーナツで販売されている「台湾果茶」を飲み、台湾のものが売っていないかセブン・イレブンを物色し、スーパーで台湾産の果物を探す。こうして「台湾ロス」の心を慰めているのである。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。

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