台湾の声2016.2.24 15:00
2・28事件に思いを馳せるこのとき、ニッポンドットコム(nippon.com)は、湾生で台北高等学校を卒業し、『裏切られた台湾』の訳者である川平朝清氏へのインタビュー記事を公開した。
“『裏切られた台湾』に込められた思い−−「湾生」・川平朝清さんに聞く”
同記事の日本語版へのリンク:
http://www.nippon.com/ja/people/e00094/
同記事の中国語版(香港・台湾向け)へのリンクは:
http://www.nippon.com/hk/people/e00094/
同記事の中国語版(簡体字)へのリンクは:
http://www.nippon.com/cn/people/e00094/
以下、同記事の概要と記事中に紹介されている川平朝清氏のプロフィールを引用する。この記事が、日本語と中国語版で公開されたことは、2・28事件がまだまだ十分に知られていない日本社会、また、台湾への野望を持つように「教育」された中国人、および民主主義を求めている香港・中国の人々、そして台湾の歴史を見つめなおそうという台湾の人々にとって有益なことである。ニッポンドットコムは多言語で記事を公開しており、この記事がさらに英語等の言語に翻訳されれば、英語圏の日本と台湾の関係についての理解が深まることであろう。
“今では内外で知られる戦後間もなくの台湾の混乱や「二二八事件」などを記した『裏切られた台湾』の著者ジョージ・カー氏は、かつて台北高等学校の英語教師でもあった。カー氏に薫陶を受けた、湾生・川平朝清さんにあの時代の話を聞いた。”
“川平 朝清(かびら ちょうせい)
1927年、日本統治下の台湾台中に生まれる。1946年、台北高等学校を卒業。在学時に『裏切られた台湾』の訳者、米ワシントン大学終身名誉教授(神経病理学)の蕭成美氏と出会う。戦後は沖縄に引き揚げ、RBC琉球放送の設立に尽力。1953年、米ミシガン州立大に留学し、ジョージ・カー氏と再会。以来、氏の薫陶を受ける。1967年、沖縄放送協会会長に就任。1972年、沖縄の本土復帰に伴い、沖縄放送協会が解散。家族と共に東京に移り、NHK経営主幹に就任。1992年より学校法人昭和女子大学英文科教授、副学長、副理事長などを歴任し、現在、同大学名誉理事。川平家は琉球王朝につながる家柄で、昔から通訳や広報に関する仕事に従事している。キャスターでタレントのジョン・カビラさん、実業家で米国在住の川平謙慈さん、タレントの川平慈英さんら3兄弟の父でもある。”