日台断交50年の10大ニュース  高橋 郁文(nippon.com翻訳編集者)

日台断交50年の10大ニュース  高橋 郁文(nippon.com翻訳編集者)

 10大ニュースと言えば、1年を振り返る定番のテーマ。11月後半くらいから12月頭にかけて「〇〇10大ニュース」として盛んに報じられる。しかるに「ニッポン・ドット・コム」がこの時期に、それも日台が断行してからを10大ニュースとして発表した。

 50年前の9月29日が日華断交の日だったので、その日からあまり離れない時期に50年を振り返ろうという趣旨のようだ。

 もちろん、トップは50年前の日本と中華民国の断交を取り上げた。最後の10番目は、7月8日に安倍晋三・元総理が凶弾に斃れて急逝したことを挙げている。

 50年と幅が広いだけに10本だけ拾い上げるというのはなかなか難しい。「ニッポン・ドット・コム」の選択に異論もあるかと思うものの、大方の賛同は得られると思う選択ではないかと思われる。

 ちなみに、編集子は断交後の50年は3期に分けられると考えている。

 断交から2000年までを第1期としたのは、この間の日本は中国との交流ばかりに目が向き、台湾との交流がほとんど見当たらないからだ。交流はほぼ民間に限定されていた時期で、1998年5月の日本台湾学会の設立は交流が花開く準備の段階だったと位置づけられようか。

 ところが、李登輝前総統が来日した2001年を起点に日台の交流が徐々に始まる。その意味で、李登輝元総統の9回の来日は日台関係のバロメーターだったと言ってよい。この時期を締めくくるのは「NHKのど自慢イン台湾」の開催で、草の根交流の頂点をなしたたのではないだろうか。

 東日本大震災の翌年から現在までを第3期としたが、この時期の双方の往来者数や鉄道提携の急増、高校生の修学旅行先で台湾がオーストラリアやアメリカなどを抑えてトップとなるなど、この10年間は50年のうちでもっとも濃密でかつ重要な交流が行われた時期だ。その象徴は、交流協会が「日本台湾交流協会」と改称し、亜東関係協会が「台湾日本関係協会」に改称したことだ。この改称の意義は高い。

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・第1期:1972年〜2000年  交流協会と亜東関係協会との間の在外事務所相互設置に関する取決め(1972年12月)、蒋経国総統の急逝により副 総統の李登輝が総統就任(1988年1月13日)、野百合学生運動(1990年3月)、動員戡乱時期臨時条款を廃止(1991 年5月)、万年国民代表と立法委員が退職(1991年12月)、刑法百条を改正して政治犯を釈放(1992年5月)、李登 輝が住民による直接選挙で総統当選(1996年3月)

・第2期:2001年〜2011年 李登輝元総統の来日(2001年4月)、外務省の内規改正で課長職以上が訪台可(2002年11月)、交流協会に前陸将補 が防衛担当主任(駐在武官)として初着任(2003年1月)、天皇誕生日祝賀レセプションを開催(2003年12月)、台 湾人への叙勲再開(2005年4月)、台湾人観光客にノービザを実施(2005年9月)、東日本大震災に台湾から多大の支 援(2011年3月)、NHKのど自慢イン台湾を開催(2011年10月)

・第3期:2012年〜現在 春の園遊会に台湾代表を招待(2012年4月)、外登証を廃止し「台湾」表記の在留カード交付と外国人住民基本台帳 を開始(2012年7月)、日台民間漁業取決めの締結(2013年4月)、外登証を廃止し在留カードを交付。外国人住民 基本台帳も開始(共に台湾表記)、安倍総理が参院特別委員会で「台湾は重要なパートナー、日本の大切な友人」と 答弁(2015年7月)、日台民間租税取決めの締結(2015年11月26日)、岸田文雄・外務大臣が談話「台湾総統選挙の 結果について」を日本語と英語で発表(2016年1月)、交流協会が「日本台湾交流協会」と改称(2017年1月)、亜東 関係協会が「台湾日本関係協会」に改称(2017年5月)、李登輝元総統の逝去(2020年7月30日)、安倍晋三・元総理 の急逝(2022年7月8日)

—————————————————————————————–日台断交50年の10大ニュース高橋 郁文(nippon.com翻訳編集者)【nippon.com:2022年10月9日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c11402/

1)1972年9月29日 日台断交  田中角栄政権が中華人民共和国(中国)と国交を樹立、中華民国(台湾)と断交する。外交関係はなくなったもの の、経済・貿易・技術・文化などの実務関係は継続することとなる。

2)1979年12月31日 ジュディ・オングが日本レコード大賞受賞、NHK紅白出場  台湾出身の歌手、ジュディ・オングが「魅せられて」で200万枚の大ヒット。日本レコード大賞受賞、NHK紅白出場を  果たす。

3)1994年4月24日 『週刊朝日』が李登輝と司馬遼太郎の対談掲載 李登輝元総統と司馬遼太郎の対談が『週刊朝日』1994年5月6、13日号に掲載される(司馬遼太郎『街道をゆく 台湾 紀行』として収録)。「台湾人に生まれた悲哀」という言葉が話題となる。

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4)1998年5月30日 日本台湾学会設立 日本における台湾研究の充実・発展のため、日本台湾学会が設立され、初代理事長に若林正丈氏が就任する。設立 大会出席者は200人を上回り、台湾への注目が高まっていることを裏付けた。

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5)2001年4月22日 李登輝元総統が治療のため来日 李登輝元総統が心臓病治療のため26日まで岡山県倉敷市に滞在。中国が政治目的の訪日ではないかと反対し、日本 政府内でも一部に慎重論もあったが、人道的措置としてビザを発給した。

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6)2007年3月2日 台湾新幹線、全線開業 新幹線技術を海外で初めて採用した台湾高速鉄道が全線開業する。北は板橋から南は左営まで。車両の「700T型」 東海道・山陽新幹線の700系をベースに開発されたもの。

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7)2011年3月11日 東日本大震災発生 東日本大震災が発生。3月14日、台湾から救助隊28人が来日。4月13日、台湾からの義援金が140億円を超えて世界 一になる。5月3日、日本人の民間人有志による「ありがとう、台湾」と題したお礼広告が、台湾の『聯合報』『自 由時報』に掲載される。累計の義援金は200億円(当時のレート)に達した。

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8)2013年4月10日 日台漁業取り決めに署名 日台が長年の懸案だった漁業取り決め(日台漁業協定)に署名する。共に主権を主張している状態を維持し、領土 と領海を除く空間、そして日中漁業協定で定められた北緯27度よりも南側について、日台双方の漁業権を定めたも のとなった。

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9)2021年6月4日 日本、台湾に新型コロナワクチンを提供 新型コロナワクチンの調達に窮していた台湾に対し、日本政府はアストラゼネカ社製ワクチン124万回分を無償で提 供することを発表。その後も提供は続き、計6回、累計420万回分に上った。

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10)2022年7月8日 安倍元首相急逝 奈良市内で参院選の遊説中の安倍晋三元首相が銃撃され急逝。同夜、台湾の台北101ビルには「謹んで哀悼の意を表 する 安倍首相」「台湾の永遠の友」「感謝 安倍首相」「台湾への支持と友情」などの文字がライトアップされた。 11日、頼清徳副総統が弔問のため緊急来日。9月24日には高雄に銅像も完成した。

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高橋 郁文(たかはし・いくとも)ニッポンドットコム翻訳編集者。大学院でバイリンガリズムを研究後、大手メーカー、出版社などを経て、2011年より現職。台北生まれ台北育ちの台北っ子。

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