――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港211)
いずれは食用として犬買いに売り飛ばそうと考えて、子犬を可愛がって育てていた。たしかに残酷な話とは思うが、曽妹だけがそうしていたわけではないだろう。香港の農村部では、曽妹と同じような魂胆で子犬を飼育していた例は数多くあったはず。ならば無数の子犬が、食用になる運命を背負って愛玩されていたに違いない。
ヒドイと言えばヒドイようだが、アッケラカンと割り切ってみれば、それはそれでスッキリしている。ここで「動物愛護を!」などとキザったらしい物言いをする積もりは全くないし、するべきではない。それが食を通じての生き方(食文化)なのだから。
曽妹と子犬の関係から中国庶民の死生観を引き出そうなどと大仰な考えは毛頭ないが、それにしても《生きているモノ》と《死体というモノ》に対する向き合い方の切り替えを見せてもらったことは確かであり、彼らの生き方の一端を実感させてもらった思いだ。
ところで香港の農村部の先に広がっているのは、広東の農村である。もとは同じく広東の農村であり、たまたま殖民地と人民共和国の違いがあるだけで、農村での生き方に大差があろうはずもない。ならば犬の運命もまた同じだったと考えらはしないか。
対外開放されて程ない1980年初頭、広東の農村を訪れた時、ある農家の軒先に皮を剥かれた犬が頭を下にぶら下がっていた。そこにいた農夫に「旨そうですね、食べるんですか」と尋ねると、「だから買ってきたのさ」と皺くちゃな顔がニコッと微笑んだ。文革終焉から僅か数年。やはり食い物に関する習慣は政治の力でも容易くは換えられないらしい。農家の壁に残された「毛主席万歳!」の文字は色鮮やかなままだった。
ここで麻袋に押し込められた犬の運命に戻るが、もちろん犬買いの手に委ねられる。
1匹ずつ詰めた麻袋を幾つか持って、犬飼は沙田から九龍に向かう幹線道路の大埔道(タイポ・ドウ)まで出て小巴(ミニバス)を拾う。バスの狭い通路に犬の入った麻袋を置くのだが、九龍の街に入る直前の山道で潜り抜けなければならない関門がある。“野蛮で残酷な犬肉販売”を取り締まるため、10月前後から山道の脇にパトカーを停車させ、警察官が目を光らせるのである。
ある日、麻袋が置かれた小巴に乗り合わせた。警官の指示で小巴は道の脇に停車する。ドアが開くと、入り口のステップに片足を掛け、警察官が身を乗り入れる。乗客をヌメッと見回した後、通路に置かれた麻袋に視線を落とす。「これはなんだ」。乗客は下を向いたりして視線を逸らし沈黙。再び「これはなんだ」。またまた沈黙。すると麻袋がモゾモゾと動き、運悪く袋の中から「キャンキャン」とくぐもった鳴き声がする。「これはなんだ」。またまた沈黙。すると、やおら警官は運転手に向かって「発車していいぞ」と。ドアが閉まり、小巴は動き出した。
警察官の職務怠慢ではなく、明らかに温情、いや見て見ぬ振り、というやつだ。乗客の視線は一斉に麻袋の持ち主、つまり犬買いに注がれることになる。とはいえ彼を非難しているわけではなく、ホッと安堵の雰囲気が車中を漂う。
この先、犬買いは九龍の市街で「香肉上市」の張り紙をした屋台の犬肉屋に“生きのいい香肉”を卸すことになる。
その先だが、犬はクビに輪を掛けられ、屋台の店先に繋がれる。客が立て込んできて用意した分が少なくなると、新しく仕込まなければならない。そこで店先に繋がれた何匹かの中から1匹を選び、路地の奥の暗がりの方に連れて行こうとするのだが、ここで犬が前足を突っ張って抵抗する。犬もまた自らの運命を察知するのだろう。オヤジが手にした綱を強く引くから、前足を突っ張ったままズルズルと引きずられて行かざるを得ない。やがて客の視界から消えるや、「キャン、キャーン、ウン」の鳴き声を残して絶命です。《QED》