――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港163)

【知道中国 2281回】                       二一・九・念八

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港163)

このように地上兵力では圧倒的優位に立つことになった共産党軍だが、航空兵力は極めて貧弱であり、北京の制空権を掌握してはいなかった。

毛沢東は亭子に向かおうと池の畔を歩いていたのか。防空壕を覗き込んでいたのか。遠くに霞む北京の街並に目をやっていたのか。その時、彼の頭の中を過ぎったのは南京からやってきた国民党代表団との和平交渉の進め方か。逃げ場を失った政敵・?介石の処遇か。それとも今夜の演目か。

 やがて毛沢東は警護の兵士に向かった、

 「今夜は京劇にいくんだが、わかっているかい」

 「はい、承知いたしております。すべて手配は完了ずみであります」

 「何時に出発だ」

 「なにぶんにも道路事情がよろしくありませんので、かれこれ1時間ほどみていただきたいと思います。6時半の出発ですと、予定通りの到着となります」

 その返事を待って、毛沢東はゆっくりと歩きだす。そして、なにかを考え込むかのように「京劇見物も仕事だ」と、ポツリと一言。

 「京劇見物も仕事だ」――この時、毛沢東は京劇見物に行きたくなかったわけでも、義理や義務で嫌々ながら客席を暖めようとしていたわけでもない。いや、それどころか心躍らせていたはずだ。にもかかわらず、この台詞。おそらく毛沢東はウキウキと高揚する心を身近に在って常日頃から顔を合わせる兵士たちに気づかれたくなかったのではなかろうか。

 この季節の北京では、柳の種がはじけ、中から白い綿のような柳絮が飛びだし、ふわふわと街を舞いはじめる。

戦火の止んだ北京の、暮れなずむ大通りを、前後を厳重に守られながら疾駆する車。後部座席にどっかと座る毛沢東。やがて車は北京のど真ん中に位置する天安モン近くの長安大戯院の前に到着する。車から降り立った毛沢東は、右手を軽く上げて会釈する。中国共産党を率いる毛沢東とは、さて、いかなる人物か。

満面笑みを浮かべながら、半ば緊張しつつ腰を屈め毛沢東の前に進み出る京劇の名優をはじめとする興行界の面々。この光景を遠巻きにして眺める共産党幹部。その周りを十重二十重に囲む北京市民。彼らの肩の辺りをふわふわと舞う柳絮――こんな光景を49年4月の北京で見ることができたなら、政治の都である北京の新しい皇帝としては、これ以上の舞台設定はなかったに違いない。

この夜、京劇界が毛沢東に供した演目は、45年10月の重慶で毛沢東が?介石夫妻に見せた「覇王別妃」である。虞妃を演ずるのは京劇界の至宝であり中国文化の精華と讃えられた梅蘭芳だ。

朱徳、劉少奇、周恩来、任弼時ら革命の元勲を左右に従え、長安大戯院の二階正面中央のロイヤル・ボックスに陣取る。中国は、やっと戦争のない時代を迎えようとしていた。国民党との内戦にほぼ決着がつき、革命成就は目前であり、もうすぐ天下は我われの、いやオレのものになる。

この演目を見れば、誰だって項羽は?介石、虞美人は宋美齢、そして項羽軍を打ち破って天下を統一し漢帝国を打ち立てた劉邦を毛沢東に見立てるに違いない。

京劇界による新しい指導者に対する拍馬屁(おべっか)であることはもちろんだが、稀代の戯迷である毛沢東が、この日の「覇王別妃」を喜ばないわけはなかったはずだ。その先に如何に過酷な運命が待っているかなんぞは、国民の誰もが知る由もなかった。《QED》


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