――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港21)

【知道中国 2139回】                       二〇・九・念八

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港21)

香港版国家安全法などと言う物騒な法律などは夢想すら出来なかった当時である。今では考えられないような奇妙なまでに工夫された商売――長閑で、トンマで、それでいて何処か哀愁を帯びていた――に、時にお目に掛かったものだ。あの程度の商売で、どれほどの収入が得られたのかは不明だが、兎にも角にも商売として成り立っていたのだろう。

なによりもお世話になったのは、やはり京劇のカセット・テープ屋だった。

京劇にのめり込み、年中無休で京劇小屋に通うようになった経緯については、いずれ書き留めておかねばならないが、いまは京劇カセット・テープ屋通いに留めておく。

ある日の昼休みだった。研究所の廊下を歩いて居ると、どこからともなく京劇が聞こえてくる。戯迷(京劇狂い)の哀しいサガというのか。歌であれ楽器の伴奏であれ、京劇が聞こえてくると心がウキウキし、音の方向に足が自動的にロックオンされてしまう。まるで「ハーメルンの笛吹き男」に誘われるネズミのように進むと、事務員の洪さんがカセット・テープで京劇――それも文革で消えたはずの古典京劇――を、さも嬉しそうに聞いているではないか。

京劇の基本は歌劇であるから看るのではなく聴く。そこで基本的には「看戯」と言わずに「聴戯」と表現する。

当時、香港でも文革の影響を受け京劇と言えば革命現代京劇のレコードであり、ビクトリア公園の向かいに店を構えていた老舗レコード店の「楽聲唱片」でも、古典京劇のレコードの入手は困難だった。なぜ洪さんが文革で打倒された名優たちのカセット・テープを持っているのか。こういう珍品を密かに売っている所がある。紹介してやるから行ってみないか、と。一も二もなくお願いし、教えてもらった住所を訪ねた。

佐敦道に面した富都酒店(ホテル)の並びの安っぽい老朽ビルの高層階だったように記憶する。ドアの前に立って呼び鈴を鳴らす。暫くすると足音がして木製のドアが開けられた。鉄製のドア越しに新亜研究所の洪さん名前を出して来意を告げると、二重になった鉄製のドアを開けて中に招き入れてくれた。ウナギの寝床のような細長く狭い部屋の壁には、役者名と演目が手書きされたカセット・テープが並んでいる。

馬連良の『借東風』、周信芳の『肅何月下追韓信』に目が吸い寄せられる。見当たらなかった譚富英の『空城計』と李多奎の『釣金亀』を注文して、その場を後にした。持ち帰って耳を傾ける。文革で非業の死を遂げただけに、もはや聴くことなどできないと思っていた名優の絶唱と思えば、心に染み入らないわけがない。だが、時々挟まる異音が気になる。雑音ではなく、どうやら中国のアナウンサーによる詳細な解説のようだ。

その後、何回か通って分かったことだが、中国で放送された古典京劇番組を録音し、それをダビングして売り出した。戯迷の間に噂が広がり、結構な商売になっているという。それにしても著作権もヘッタクレもない不思議な商売である。

文革で古典京劇は封建社会の残滓として完膚なきまでに批判され、兵士や労働者を主人公にした革命現代京劇以外は中国からは消え去った――当時、日本で雨後の筍のように出版された文革関連本では、こう説かれていた。だが、しがないカセット・テープ屋で知る限り、そうではなさそうだ。日本で喧伝されているほどではなく、適当に息抜きしながら文革が行われていたということだろうか。これを言い換えるなら、やはり日本人の中国理解は日本式に厳格で一辺倒で短兵急に結論を求め過ぎるように思う。

自転車で回って顧客の車を掃除する洗車屋、荷車に古本を並べた移動販売の古本屋、飲茶の客の間を回って馬票(馬券)を売りつける馬票屋など・・・世界の金融センターへと変貌するなかで、いつしか香港は彼らの生息を許す“空き地”を失っていたようだ。《QED》


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