――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港172)

【知道中国 2290回】                       二一・十・廿

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港172)

自らが金科玉条として掲げる歴史観と全く相反する立場で描かれているわけだから、共産党政権が「鉄公鶏」を禁戯としても当然であり、別にとやかくケチをつけても仕方がない。ただ、「鉄公鶏」の筋運びからして、「太平天国=善、清朝=悪」とする共産党正統歴史観とは異なる考えが、この演目の根底に流れていることを知るのみだ。

清朝軍の司令官である向栄の暗殺に向かったが清朝軍に寝返り、あまつさえ向栄に認められ、その娘婿に収まった張家祥が太平天国軍を打ち破る大勲功を立てる。

張家祥に扮した役者が見せる人間ワザとは思えないような激しい立ち回りの連続に、客の少ない第六劇場でも客席から「叫好(ッてました。だいとうりょう。タップリ!)」が連発され、舞台と客席が渾然一体となり熱気ムンムンの空間が立ち現れるから不思議だ。

とどのつまり芝居は絵空事の世界であるがゆえに、戯作者なり役者は自分の感性・感情が向かうが儘に芝居の筋運びを自在に操れる。悲劇で幕にすることも、ハッピーエンドに終わらせることも。その背景には興行としてのソロバン勘定があることはもちろんだが。

それが世相のド真ん中を射抜き、客の趣味嗜好と噛み合った時、その芝居は大入りとなる。これが流行というものだろう。こう考えると、太平天国誕生から共産党政権が禁戯措置するまでの1世紀ほどの間、中国の庶民は清朝側を是とし、太平天国軍に打撃を与えた張家祥を、少なくとも舞台の上では英雄として迎えていたことになるのではないか。

この演目は台湾でも禁戯扱いになってはいない。ならば舞台の上で演じられる絵空事の世界に限られたことであったにせよ、「太平天国=善、清朝=悪」との図式は共産党政権だけが持つ“特殊”な歴史観と見なすことも出来るはずだ。

こう考えると、やはり第六劇場で過ごした至福の時は、また共産党正統史観への疑問を持つ機会を与えてくれたわけだから、やはり大いに感謝すべきだろう。

続いて紹介したいのが「奇冤報」(「烏盆記」)である。この演目も飽きるほど見た――あるいは「見せられた」と言えるかもしれない――が、「大劈棺」と同じように舞台の上ではさほど残酷・残忍な演技が展開されるわけではない。ただ、別の演目名の由来である「烏盆」(分厚い黒い鉢)の意味するところは相当に残忍で残酷だ。

「奇冤報」の種本は元代雑劇「丁丁当当盆児鬼」で、これに明代小説『三侠五義』の「第五回:包公奇案烏盆子」が加味されている。

時は宋代。舞台は定遠県の外れ。悲劇の人が南陽城の緞通商人の劉世昌で、敵役は貧乏旅籠の亭主である趙大夫婦。しがない草履職人の張別古が狂言回しで、主人公は中国文化圏では永遠の正義の味方であり、庶民の救世主とされている「清官」の代表格とも言える包公である。貪官汚吏とは真反対の正義厳正の役人で、中国では歴史的に超稀少であった。

年末の集金周りから帰路に就く劉世昌の登場で舞台は始まる。思わぬ雨に祟られ困り果てた彼は、前方の寂れた旅籠に宿を取ることにした。貧乏極まりない旅籠の主人・趙大は劉が手にした大金に目が眩む。かくて女房と図って大金を奪い取り、劉の死体を切り刻んで土に捏ね混ぜて竈で焼き上げ黒い鉢(烏盆)にしてしまう。

もちろん死体を切り刻む、土に捏ね混ぜる、竈で焼くといった凄惨な演技をするわけではないが、想像するだけでも十分に恐ろしい。だが同じ殺人でも、たとえば三遊亭円朝の『真景累ケ淵』が醸し出すヌメッとした禍々しさ、オドロオドロしさに較べ、なぜかカラッと感じさせるところが不思議なほどに印象深い。

殺人と死体遺棄と窃盗で貧乏を脱し大金持ちとなった趙大夫婦に対する烏盆に宿った劉世昌の霊魂。草履職人の張別古の身を借りて、霊魂が恨みを語り復讐を始める。ここからが「奇冤報」の山場だが、霊魂による復讐を共産主義倫理道徳が認めるはずもない。《QED》


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