――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港150)
なにを唱い、なにをしゃべり、どのような台詞がやりとりされているのか。そんなことが分かるわけはない。韻を踏んだ、京劇独特な発音や言い回しで交わされる台詞は、日常会話をなんとかこなせる程度の中国語の力は到底理解できない。だが、あの埃立った舞台が一瞬にして輝きだし、見栄えのしなかったしょぼくれた童伶に命が吹き込まれ、立ち所に鮮やかな動きを見せはじめる。
和辻哲郎は『日本芸術史』(第1巻)で芝居を「舞台上に作り出される世界、即ち想像力によって作り上げられた世界」と見立て、そこに「超地上的な輝かしさ」を認めているが、まさに第六劇場の粗末極まりない舞台に、和辻の説く「超地上的な輝かしさ」を感じてしまった。いや正直に告白するなら、舞台の上で童伶が演ずる他愛のない芝居――「京劇のまがいもの」と言うのは、やや酷か――に「超地上的な輝かしさ」を見出してしまった自分に驚くばかりだった。
その翌日、今度は一人で第六劇場に出掛けた。切符を買って、暗い座席に座り埃立つ舞台でドタバタと繰り広げられる稽古を眺め、ジャンジャンジャンジャンと騒々しいとしか言いようのない「開場鑼(「触れ太鼓」ならぬ「触れ囃子」)を聞きながら時を待つ。やがて舞台が暗転。しばらくする小屋全体に明かりが点され、光が舞台にパッと集まる。「アーハー」の一声。すると忽ち舞台に「超地上的な輝かしさ」が浮き上がってくるような。
次の日も、また次の日も、またまた次の日も。こうなると、もう止まらない。そこでなんとか台詞なり理解できないか、と考えた。もちろん当時は文革であり、中国系書店に古典京劇関連の本が置かれているわけがない。そこで例の数学教授に相談すると、台湾系の集成図書公司の老板(マネージャー)を紹介してくれた。
集成図書公司は旺角の一角。九広鉄道の旺角駅の改札を出て左に坂を下り、亜皆老街に突き当たる右手の辺りにあり、客はまばらだが売り場面積は中国系書店のどこよりも広かった。おそらく当時の香港では最大規模の書店だったと思う。中国系書店が毛沢東の胸から上の写真を麗々しく掲げていたように、ここでは縦が1.5mで横が1mばかりの中山服姿の孫文の、これまた胸から上の写真が客を見下ろしていた。朧気な記憶だが、孫文の隣に同じ大きさの?介石の、これまた中山服の胸から上の写真が並んでいたような。
店内で見つけた『名家平劇秘本 戯考大全』(宏業書局 民国59=1960年)と『修訂平劇選』(国立編訳館修訂 正中書局印行 民国48=1959年)を持って老板を探すと、「教授から連絡がありました」と。ところでなぜ「平劇」なのか。中華民国が首都を南京に定めたことから、北京は「京」ではないとの建前で「北平」と呼ばれていた。そこで京劇は時に平劇と呼ばれていたのである。
『名家平劇秘本 戯考大全』は厚さが10cm前後。『修訂平劇選』は12巻本。再び「教授から連絡がありました」とダメ押しされたら、清水の舞台から飛び降りるしかない。双方を買うことした。それなりに値引きしてくれたが、些か痛い出費だった。
その後も、時々、集成図書公司に顔を出すと、「こんなのがありますよ」。老板の“甘言”に誘われ『斉如山全集(全8巻)』(斉如山 北平国劇学会 民国24=1935年)、『平劇戯』(李白水 文化図書公司 民国59=1970年)、『国劇大成(全14巻)』(張伯謹 国防部総政治作戦部振興国劇研究発展委員会 民国63=1974年)などを買ってしまったが、京劇研究には得難い資料であるだけに、今となっては貴重な買い物だったと感謝するしかない。
『名家平劇秘本 戯考大全』と『修訂平劇選』を下宿に持ち帰り開いてみる。台詞、唱詞、ト書きなどを記した京劇の劇本(脚本)である。そこで台詞の一部なりを頭に叩き込み、軽い方の『修訂平劇選』を手にしての第六劇場通いが始まったのであった。《QED》