――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港149)
春と秋、幕間にはタバコが飛び交う。仲間全員に1本ずつタバコを振る舞うのだ。タバコを吸わない身ではあるものの、やはり戯迷としての“礼儀”を失してはいけない。そこで時にタバコを買って、最前列の仲間に振る舞ったのである。
以上は後日の話。そこで第六劇場を初めて体験したあの日を・・・
客席は舞台寄りから前・中・後の三段階と区別されていたが、もちろん舞台寄りが最も高かった。高いと言ったところで5香港ドル(当時、1香港ドルは60円前後で、1万円が160香港ドル。1米ドルが360円)ではなかったか。その日、4人が座ったのは、舞台から4、5列目だったような。
座席左右の板壁は暗い色調。加えて客席の照明は落とされている。客席の暗さに反比例してヤケに明るい舞台では化粧前の役者が立ち回りの稽古をしたり、「あ~、あ~」などと嗓子(ノド)の調子を整えたり。舞台右袖では場面(おはやし)が楽器の調子を合わせている。「テケテケテケテケテケテケ」「テイテイテイ、テイ、タ、テイ」「クワーン、テイ、クワーン、テイ、クワーン、テイ、クワーン、テイ」「ラーリーラリー、タラリララリラー」など、生まれてこの方聞いたことのないような奇妙な音が薄暗い客席全体に響き渡る。さて、どんな楽器だろうか。興味は募る。
舞台の上に敷かれた分厚い古ぼけた絨毯の上では、立ち回りの稽古をしていた。年代物である上に、激しい立ち回りでボロボロ。役者が飛び跳ねる度に、絨毯から舞い上がる埃が照明に照らされ、キラキラと怪しげに輝く。これが憧れ続けた京劇かと、些かゲンナリ。
場面が奏でる騒々しいだけの音を耳に、埃立つ舞台の稽古を眺めていると、いつしか場面の“騒音”はピタリと止んだ。稽古も終わったのだろう。役者は楽屋に引き下がると、舞い上がっていた埃も舞台の上から消えていた。とはいえ、絨毯に戻っただけだろう。
辺りを見回すと、気づかないままに明かりが点っていた客席は、舞台に近い方からそこそこは埋まっていた。
しばしの静寂が小屋全体を包む。誰も声を上げない。すると突然、単皮鼓が叩かれ「テケテケテケテケテケテケテケテケ・・・」と甲高い音が客席を貫く。これに続いて舞台左奥で「アーハ-」と一声上がり、顔の真ん中を白く塗った丑(どうけ)が舞台への入り口で「九龍口」とも呼ぶ「上場門」から登場し、舞台中央に向かって歩き出す。すると三分の一も埋まっていない客席だが、小屋全体を揺るがす万雷の拍手が巻き起こる。
なにを言っているのか。どこが面白いのか。サッパリと分からないが、客席がこれだけ沸いているのだから、なにか面白いことを言って客をクスグッているに違いない。それ程度は分かる。
最初の演目が終わると、次が始まる。京劇では舞台に幕があるわけではないし、大道具も使わないから場面展開がじつに早い。
こんどは九龍口の奥から「オオッホーン」と声が上がる。老生(たちやく)の登場だ。さて最初に見た演目は「捉放曹」であったか、「打鼓罵曹」であったか。はっきりはしないが、ともかくも曹操が主役だったと思うのだが。
単皮鼓の音に合わせ役者が舞台端の中央まで進むと、その時を待っていたかのように京胡(京劇専用の二胡)が纏綿と響き、役者が唱い出す。すると客席のアチコチから「好(ハオ)!」の掛け声が連続する。
一節唱って役者が一息入れている合間にも、奏者は弓をゆっくりと長く、時に速く短く動かす。すると京胡は高く低く、長く短く、ゆっくり速く、これまで耳にしたことのない音を奏でる。その音が心にグサリと突き刺さった。病膏肓に入った瞬間である。《QED》