――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港164)

【知道中国 2282回】                       二一・九・卅

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港164)

 時代は一気に下って中台関係の緊張が高まっていた1990年代半ばである。台湾財界の指導者であり、李登輝総統(当時)から絶大な信頼を得ていた辜振甫が来日し、有楽町の国際フォーラムで京劇を公演したことがある。

 じつは辜振甫は極めて優れた企業経営者であるばかりか、深い教養の持ち主であり、粋な趣味人であり、なによりも超弩級の戯迷だった。国民党の台湾統治初期の恐怖統治時代に亡命した香港で、女性ながら生(たちやく)の名優で知られた孟小冬に師事している。亡命先で道楽に耽るとは優雅で余裕というべきか、はたまた豪胆で破れかぶれやぶれというべきか。台湾に戻った後、激務の傍ら票友(しろうとやくしゃ)として屡々舞台に立ち、最後には自分用の劇場まで建設してしまったほどだ。

 その辜振甫が態々東京に出向いて京劇を演ずるのだからタマラナイ。さっそく戯単を見た。すると「空城計」に「借東風」――共に諸葛孔明が主人公で、京劇十八番とも言える演目でではないか。

 守備部隊が出払って無防備状態の居城を守る孔明は咄嗟に一計を案じる。開け放った城門の上で琴を奏でる孔明を目にした司馬懿は、城内にヒョッとして大軍を潜めているのではないか。城内に突入したら、待ち構えている孔明軍に殲滅されるのではないか。疑心暗鬼の末に司馬懿は大軍を退却させる。ホッと安堵する孔明――弱兵ながら強兵に負けない「空城計」の粗筋だ。これを当時の両岸関係に当てはめれば、強兵を恃んで台湾に対し理不尽な姿勢を示すと思わぬ痛い目に遭いますよというメッセージにも読み取れる。

 「借東風」の舞台は赤壁の戦である。孔明は法術を使って東風を巻き起こし、劣勢ながら東風の勢いを借り周瑜軍を助け、曹操の大軍を打ち破る。東風を日本に見立てるなら、劣勢の台湾に力を貸してくれという切実な思いが痛いほど感じられた。

 辜振甫の東京公演を知らせる戯単に記された「空城計」と「借東風」は、当時の台湾の政治姿勢を物語っていた。辜振甫は玄人はだしの“旦那芸”を披瀝したかったわけではないだろう。やはり舞台を通して台湾が置かれている内外状況を訴えたかったはずだ。

 ついでながら、最近の中国における政治と京劇の関係を。

 中国政府の「文化和旅游部」は7月1日の共産党建党百周年祝賀を謳って、40本の京劇を推奨した。そのうちの代表的現代京劇を挙げてみると、

中国共産党創立者の1人である李大�の「短くも勇壮な一生を再現」した「李大�」。1921年開催の第1回共産党全国大会参加者13人の代表のうちの唯一の少数民族出身者である�恩銘の「初心を忘れずに犠牲を恐れぬ革命精神を貫徹」した姿を描く「�恩銘」。

共産党創立に参加した唯一の女性代表で33歳の若さで犠牲になった向警予を「傑出したプロレタリア階級革命家で中国女性運動の模範的指導者」と称える「向警予」。

建国前の共産党指導者で抗日北上先遣隊を率い作戦中に国民党に逮捕され刑死した方志敏を「諄々と革命の道理を説き、中国共産党の救国救民の主張を宣揚し、国民党反動派の血腥い統治を暴露し、確固たる革命精神を体現した」と賞賛する「清貧之方志敏」など。

加えるに武漢におけるハイテク工業団地建設に焦点を当てた「光之谷」。「偉大な歴史的変革過程における反腐敗闘争の勝利」を称える「在路上」。

――これらの現代京劇に共通するテーマが、共産党に殉じた有名無名の英雄たちによる「破私立公」に向け奮闘する姿であることは明らかだろう。

「私ヲ破リ公ヲ立テル」とは文革当時に毛沢東が掲げたスローガンであり、今年2月20日開催の党史学習教育動員大会に総書記として出席した習近平が行った講話の中心テーマの1つでもあった。いまなお京劇は、共産党政権の政治的メッセージを映し出す鏡だ。《QED》


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