――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港148)
周囲は普段は見たこともない老若男女が大騒ぎ。しかも、それがワンサカといるわけだから、2人が緊張しないわけはない。その緊張ぶりが繋いだ手から伝わってくるようだった。人混みをかき分けながら第六劇場へ。
劇場とは言うものの、芝居小屋と呼ぶに相応しい侘しげな佇まい。入り口にドアがあるわけではなく、外から中は丸見え。だから立ち見を我慢しさえすれば、無料で芝居を見ることが出来る。スルッと中に入って最後列の椅子に座ってしまえば、タダで舞台が楽しめる。誰といって咎め立てする者はいない。なんとも鷹揚で長閑な時代だった。もっとも、?園入場客の大部分が京劇なんぞに興味があろうはずもないから、入り口に立ち止まってもヒヤカシ程度で立ち去る。カネまで払って第六劇場に入れあげるような「戯迷(しばいくるい)」は、当時の香港でも、やはり余ほどのモノズキであったに違いない。
程なく、晴れて戯迷の仲間入り、いや見習い扱いを受け、観劇三昧の日々を送ることなったわけだ。事実、京劇にはまり、夜の?園通いが日常化するようになると、第一日文の学生などを含め、周囲の誰からも奇異の目を向けら、誰の顔からも「モノズキにも程がある」といった雰囲気が伝わってくるようだった。だが、この道だけは止められない。
第六劇場に戻る。
入り口の右手に置かれた縦横1.5mで高さが2mほどの小屋が切符売り場だった。その中にオッサンが座席表を客の方に向けて座っている。客が望みの座席を指さすと、手にしたチビた赤鉛筆で座席表に印をした後、切符に座席番号を書き込み渡してくれる。ここで忘れてならないのは、演目の予定と役者名が記された「戯単」を受け取ること。それというのも戯単は芝居を楽しむ上での最良の手引きだからだ。いずれ細かく論じてみたい。
かくて切符と戯単を手に入場するが、場内案内などいるわけがないから自分で座席を探す。
もっとも足繁く通うようになると、最前列の舞台に向かった右から3番目(2番目?)の席が定席となった。そこでオッサンはこちらの顔を認めると即座に座席表に印し、黙って切符を渡してくれるようになった。1年ほど通う頃には「自己人(なかま)」と認められたのか、晴れて顔パス待遇に昇格していた。
第六劇場の構造を簡単に記すと、土間はコンクリートの打ちっぱなしで、客席は舞台に向かって緩い下り勾配だった。中央の通路を挟んで両側に、坐る部分が折りたためる木製の安っぽい椅子が片側6、7席ほど。小屋全体では満席で300人ほどになろうか。
じつは京劇を含む中国の伝統芝居は、基本的には大道具は使わない。椅子に机に小道具、それに役者の五体の動きと場面(おはやし)の音だけで、ありとあらゆる情景を舞台の上に描き出してしまう。取り立てて大きな舞台は必要ない。だから第六劇場のような小ぶりの舞台であっても、無限の空間を描き出せる。第六劇場では役者の息づかいが客席最前列の客には皮膚感覚で堪能出来た。芝居をライブで楽しむには手ごろな規模の小屋だった。
とはいうものの、板を打ち付けただけの壁で、なんの装飾もない。夏は暖房で冬は冷房だから、とてもじゃないが快適とは程遠い。天井に大型扇風機が設置されているが、これが役に立たない。そんな時は戯迷仲間の誰かが冷えたビールを持ち込んで、銘々に紙コップを渡し、幕間にグビーツと喉を潤す。
冬は寒い。建て付けの悪い老朽化した木造建築だけに、方々の隙間から冷たい風が吹き込む。打ちっ放しのコンクリートの床からの冷気が靴底に伝わり、やがて体全体を冷やしてしまう。だが舞台に集中するから首から上は熱い。すると頃合いを見計らって、戯迷仲間の誰かが第六劇場隣の客家料理レストランに行って、熱燗の紹興酒を持ち帰って仲間に振る舞ってくれる。最前列で京劇を楽しみながらの紹興酒。至福中の至福の時だ。《QED》