――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港5)

【知道中国 2123回】                       二〇・八・念七

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港5)

 入学手続きが終わると、洪さんが先に立って、私のために用意されていた研究室に案内してくれた。歩きながら突然、洪さんが親指を立てて「日本の歌手の天地真理はいい!」と。理由を訊くと「なにより名前が素晴らしい。天地の真理だからスゴイ!」。歌声、容姿もさることながら、どうやら彼女の芸名に惚れ込んでしまったらしい。

洪さんは50歳前後だったろうか。それにしても香港のオッサンはヘンなところに注目するものだと、改めて感心するばかり。当時の日本で、彼女の芸名を上下に二分し「天地(うちゅう)」の「真理(しんり)」と受け取ったファンはいなかったはず。その発想に驚くばかり。漢字に対するイメージは日本とは違う。やはり同文同種という考えは軌道修正すべし、である。当時の香港で比較的知られていた歌手は天地真理の外に今陽子。ピンキーとキラーズの「恋の季節」は、香港に進出する日本のサブカルチャーの走りだったようだ。

さて研究室だが、広さは8畳ほどで明るい。広い窓に向かって頑丈そうな大きな机と本箱が置かれていた。かくて、気分はすっかり研究者。ここで思う存分研究すべしと、先ずは決意を新たにした次第である。

 その後、中国人の先輩が何人か声を掛けてくれて遅い昼食に。色々と話しているうちに朧気ながら気づかされたことは、勉強にはカネが掛かるという当たり前の事実だった。これは何人も否定しようのない冷厳なる人生の鉄則である。勉強は個人ができる最高の投資だ。言い方を換えるならば、まさしく学費は投資資金である。ならば手持ちの資金は多いに越したことはないはずが、投資の元手が心許ない。ローリスク・ローリターンだろうか。

入学金のみで授業料免除の特典を与えられたが、先輩たちの話を聞いていると思いのほかに生活費が嵩みそうだ。ざっと計算して見る。日本から持ってきた資金では、倹約しても持ち堪えられるのは1年程度か。さっきまでの希望は一気に暗転し、心に憂鬱の2文字がジワーッと浮かんでは否が応でも大きさを増す。生活設計の立て直しが急務だ。

 だが、クヨクヨしても始まらない。図書館などを案内してもらった後に下宿に戻り、洗面器やら歯ブラシやら生活必需品を用意することにした。大家のTさん夫人が「少し歩いたところある中国系デパートの裕華國貨百貨公司が最適だ」と教えてくれた。

 地図を頼りに歩くこと5分ほど。店内に入って驚いた。さすがに中国系である。中国大陸は文革の真っ最中だから当然と言えば当然だが、中国製品は文革調のデザインに溢れていた。ガラスケースの中に展示された商品を見せてもらおうとしたが、店員は腕組してコッチを見ているだけ。女性店員も地味な紺の上下で色気ナシ。サービスの「サ」の字も感じられない。さすがに中国系デパートだけに教育が徹底していると感心し呆れるばかり。そこで見せて欲しい商品を指さし、「申し訳ありませんが、これを見せて下さい」。

 すると腕組した一団から一人が進み出て、ガラスケースから商品を取り出しポイッと置いて、そのまま身を翻して腕組の仲間の中へ。全く愛想ナシ。毛沢東思想の“神髄”を表す「為人民服務」「自力更生」などの文字がデザインされたマグカップやタオル、それに洗面器などを買うことにした。それらを無造作に包んでくれる。包んでくれただけでもヨシとすべき雰囲気だ。オツリは、ガラスケースの上に無言でポイッ。かくて思わず口をついて出たのは「非常感謝(ありがとうございます)!」だった。

 その後、ヒョンなことから中国系デパートの店員と昵懇になり、京劇レコードなどを店員価格で買ってもらったが、やはりブッチョウズラは店頭限定だったと思いたい。

 夜、寝床に就くが今後を考えれば目は冴えるばかり。徹底した倹約しかないと納得した頃にドアが開く。千鳥足でご帰還のTさんの手にはビールが。「起きろ、呑むぞ!」。《QED》

――前回の「医食同仁」は「医食同源」の誤りでした。訂正致します――


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