――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習58)
共産主義に対し毛沢東の考えは劉少奇とは違い、「地主・資本家を打倒」するだけでは「人類にとっての最高の理想である共産主義」には到達できない、とする。革命、革々命、革々々命・・・と革命は永久に続く。永久革命の過程における自己犠牲は避け難い――これが毛沢東である。そこで「祖国のため、人民のために尊い命を擲った」「小英雄」を称えることで、自己犠牲――為人民服務――の尊さを教え込もうとした。その教材が『《少年英雄故事》叢書 林森火』であり、『一心為公的硬骨頭戦士 張春玉』であったはずだ。
『《少年英雄故事》叢書 林森火』は、文庫本より一回り小さく持ち運び便利な体裁だ。いつでも、どこでも片方の手のひらに置いて読むことができる。「《少年英雄故事》叢書」と銘打たれているから、同種の“自己犠牲シリーズ”は多種類が出版されたことだろう。
『林森火』の舞台は浙江省玉環県で、時は1946年の国共内戦期である。国民党反動派のために極貧生活を強いられている家庭に生まれた林森火は復讐を誓った。共産党の下部組織である児童団に参加し、団長として仲間を集め勉強会を組織する。党の手足となって危険を冒し、人目につきやすい場所に「中国共産党万歳!」「毛主席万歳!」「打倒?介石!」などの標語を張り歩く。時に秘密の連絡・諜報員となって解放軍の手足の役割を果たした。
その功が認められ、建国直後の49年末には光栄にも新民主主義青年団への加入が認められる。翌年、朝鮮戦争勃発。すると中国が取り組む「抗美援朝(アメリカに抗し、朝鮮を支援する)運動」を破壊すべく、?介石軍が反攻に打って出たのだ。防戦に回る解放軍。前線への弾薬担送を申し出る林森火に対し、解放軍司令官は「危険だ。後方へ下がれ」と命ずる。だが林森火は「敵殲滅は人民一人一人の責務であります。戦闘部署からは離れません!」と断固たる決意を述べた。その時、不幸にも敵の砲弾が炸裂し林森火は犠牲に。
かくして「偉大なる少年英雄・林森火は、人々の心に永遠に生き続ける!」ことになる。
林森火こそ、文革に向けて次々に生まれた「偉大なる少年英雄」の魁と言えるだろう。『林森火』から3か月遅れた6月、林森火より少し年上の張春玉の輝かしい生涯を綴った『一心為公的硬骨頭戦士 張春玉』が出版された。
「毛主席の親密なる戦友」だった(はずの)林彪を従え、毛沢東が天安門楼上に立ち、眼下に広がる広大な広場を埋め尽くした100万人余の紅衛兵を接見したのは、『一心為公的硬骨頭戦士 張春玉』の出版から2か月が過ぎた66年8月である。
この時、中国全土を舞台にして、興奮と熱狂とに包まれた文革の悲喜劇の幕が開く。空前の疾風怒濤に中国全土は翻弄されることになる。もうこうなったら否も応もない。ともかくも時代のうねりに任せるしかなかった。
銃を背負い、右肩にツルハシを担ぎ、『毛沢東選集 第四巻』を左手で胸に大事そうに抱え込む目鼻立ちのはっきりした若き鉄道兵士。背景には鬱蒼と茂る森林が描かれ、その向こうに昇る大きく真っ赤な旭日――もちろん真っ赤な太陽は毛沢東を指し示しているわけだから、表紙のイラストは、『一心為公的硬骨頭戦士 張春玉』のすべてを物語っている。
『一心為公的硬骨頭戦士 張春玉』は若き鉄道兵士の張春玉の日記の一部と、『人民日報』『解放軍報』、つまり文革派の宣伝メディアに掲載された張を熱烈に讃える数編の論文で構成されている。
まるで“お約束”ででもあったかのように、彼もまた「貧困家庭出身」の生まれだ。
「張春玉同志は毛沢東思想に育まれながら、労働に、任務に、階級闘争において艱難辛苦のかなで成長し、強靭なる共産主義戦士に成長した」。「彼は生死の間を彷徨うような苦しい経験、さらには重傷を負う闘争を繰り返すなかで、〔中略〕階級闘争における鋼鉄の戦士に鍛え上げられ」ていった。やはり「鉄は熱いうちに打」つ必要があるらしい。《QED》