――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習59)

【知道中国 2393回】                       二二・七・仲五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習59)

かくて、「毛主席の階級闘争学説は、張春玉同志に階級闘争を永遠に忘れてはならないことを教えた」のであった。

張の日記を覗くと、“崇高極まりない決意”がビッシリと残されている。

――「毛主席は『社会主義制度の建設は、我われのために理想郷に到る道を切り開いてくれる。だが理想郷の実現はひとえに我らの真摯な労働にかかっているのである』と教えている。そう、そうなのだ。毛主席の時代に生きていることは幸福であり、なんにもまして誇り高いことである。だが、幸福への道の上でなにもせずに立っていられるだろうか。出来ない。断固として、それは出来ない。幸福への道において全身全霊で働き、さらに幸福な生活を創造し、我が国をより富強で、より麗しくしなければならい」

「心の底から革命を念じ、人民のためにどんな苦労も厭わず、一分一秒を党に捧げ、心から同志を思い、己より戦友に心を配り、一瞬一瞬を他人のために尽くそう」

「我が一生を土塊、石、枕木と化し、共産主義に進む大道の建設に邁進しよう。革命の列車を我が五体を乗り越えさせ、全速で前進させよう」――

 当時、自らを蔑ろにする劉少奇に狙いを定め、その失脚を策謀していた毛沢東にとって最大の関心事は、やはり強力な助っ人であり手駒だったはずだ。

毛沢東は最大最強の「暴力装置」である人民解放軍の指揮権を握る林彪を仲間に引き入れる一方、純粋無垢であるがゆえに容易に凶暴・無謀で過激になり得る青少年を唆し、彼らに政治的前衛であると同時に社会の道徳的前衛を担わせたのである。

彼らは毛沢東に盲従し、毛沢東の指し示す規律を厳守し、勤勉で大義のために殉ずる。なによりも全身全霊を擲って毛沢東に奉仕し、誰もが純粋で、毛沢東を守るためには、自らの命を捧げ尽くすことを厭わない政治的サイボーグに仕立て上げられたのであった。

『一心為公的硬骨頭戦士 張春玉』を“拳々服膺”して育った純粋過激でイキのいい若き毛沢東主義者は、「一瞬一瞬を他人のために尽くそう」とばかりに、文革の最前線に勇猛果敢に躍り出て行ったに違いない。おそらく毛沢東の狙い通りに。

当時の若者たちは、激動の時代をどのように生きたのか。その辺りを回想した陳凱歌『私の紅衛兵時代 ある映画監督の青春』(講談社現代新書 1990年)の頁を繰ってみたい。社会の荒波を乗り越えて大人になって後に綴った回想だから、若き日の行動を“合理的”に振り返ろうとする姿勢は否めない。それだけに、感情の赴くままに暴発・暴走した若き日の姿が直截に綴られているわけではないだろう。とはいえ、貴重な証言ではある。

「(1966年)八月十八日、階級制度廃止後の階級章のない軍服を着た毛が、天安門の楼上に登場した。そして、百万の青少年の歓声を浴びながら、紅衛兵の赤い腕章を腕に巻いた。彼は、紅衛兵の最高指揮官となることを明確に示したのだ。林彪は、その日の演説で、紅衛兵に次のように呼び掛けた。『あらゆる搾取階級の古い思想、古い文化、古い風俗、古い習慣を、大いに打ち破れ!』。こうして、ついに長い導火線は燃え尽きた。爆発の大音響の中で、美しい玉もつまらぬ石もすべてが燃え上がり、そして滅んでいった」

「学校の授業は、とっくにストップしていた」

「クラスの紅衛兵が行った最初の革命的行動は、張先生を教卓の上に立たせることだった」

「ほとんどのクラス担任以上の先生が、(紅衛兵となった教え子からの)攻撃を浴びた。群れをなした生徒たちが校内を走り回り、興奮した様子で論争し、罵りあい、暴力沙汰も起こるようになった。教室のドアが開くたびに、唇から血を流したり、頭を半分剃られた教師が連行されていった」。そして「革命無罪」「造反有理」の惨劇は教室を飛び出す。《QED》


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