――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習44)

【知道中国 2378回】                       二二・六・仲二

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習44)

 63年に入ると、毛沢東は手下を通じてジワリ、ソロリと劉少奇退治に動き始める。復讐である。だが劉少奇はそのことに気づかなかったのか。あるいは気にしなかったのか。この時の油断が、後に悲劇となって彼を襲うことになるのだが、それは後の話と言うことで。

年初、毛沢東は悪逆非道の宰相に殺された李慧娘が怨霊となって復讐を果たす新編歷史京劇『李慧娘』を観て、「鬼戯(霊魂が主題の芝居)」と退ける。社会主義中国にありながら、非科学的な怨霊を主人公にした芝居は断じて罷りならん、と甚くゴ立腹の態であった。

じつは劉少奇にとって芝居はしょせん絵空事であり娯楽に過ぎないもの。そこで大躍進の苦境から脱しつつあったわけだし、国民に少しばかりの娯楽の機会を与えても良かろうと「鬼戯」の上演も許したらしい。これに対し毛沢東は、芝居は娯楽であり同時に政治教育・思想洗脳の最有力の武器であると考える。かくて劉少奇攻撃の狼煙が上がった。

同時期、上海市党委員会トップの柯慶施は「大写十三年」をスローガンに掲げ、「文芸はすべからく建国以後の13年間をテーマに、社会主義社会に生きる人々を描くべきだ」との主張を展開する。2月になると、上海に逼塞していた江青が古典京劇を否定し、毛沢東思想宣伝を目的とする革命現代京劇を大いに推奨した上で、「(劉少奇派に牛耳られた)北京ではなく、柯慶施をトップとする上海は素晴らしい」と声を上げる。

3月には毛沢東思想に殉じた解放軍兵士・雷鋒を称える運動が始まった。

4月半ばから1か月ほどの日程で劉少奇・王光美夫妻はインドネシア、ビルマ(現ミャンマー)、カンボジア、ヴェトナムなどを外遊した。長期に権力中枢を留守にしての出国である。やはり劉少奇は毛沢東の動きに対する配慮・警戒心が足りない。油断が過ぎた。

5月に入ると、毛沢東派は先ずは外堀を埋めるかのように、劉少奇本人ではなく、劉少奇周辺に対する攻撃を始める。

6月、7月には、『人民日報』など主要官製メディアを主な舞台にして本格的なソ連批判が展開される。いわゆる「中ソ論争」である。

秋になると毛沢東は、後の文革を彷彿とさせる「工業学大慶、農業学大寨、全国学習解放軍」とのスローガンを掲げたのだ。

上海では年末にかけ、後に毛沢東側近として上海を拠点に文革を取り仕切ることになる柯慶施、江青、張春橋らが毛沢東賛歌の革命現代京劇を強く推奨し始めた。

――どうやら63年は大躍進後遺症克服で自信を得た劉少奇の油断と、大躍進を否定された毛沢東の沸々と滾る復讐心と、米ソ共存路線に舵を切ったソ連共産党に対する中国共産党の激しい“憎悪”が錯綜していたことが見て取れそうだ。こういった事情は、当然のように、それなりに出版にも現われる。

先ず取り上げたいのが『動脳筋爺爺』(少年児童出版社)である。1組が4冊のシリーズで、無邪気で好奇心旺盛な少年の「小無知クン」とオシャマな少女の「小問号チャン」が日常生活の中で抱く素朴な疑問に、「動脳筋爺爺(物知り爺さん)」が懇切丁寧に答えようとする(因みに、「問号」とは疑問符の「?」を指す)。

なぜ・・・麦の穂は黒く変色するのか。草は植えなくても生えてくるのか。樹木の幹や枝葉は丸いのか。雲は落ちてこないのか。月は満ち欠けを繰り返すのか。機関車の力はあんなに強いのか。飛行機は空を飛べるのか。船は浮かぶのか。饅頭を蒸かせば膨らむのか。魔法瓶の湯は冷めにくいのか。感電するのか――普通の少年少女が日常生活のなかで抱くはずの無数の「なぜ」を、動脳筋爺爺が懇切丁寧に判り易く解説してくれる。

少年少女の心に自然科学・科学技術への興味を植えつけようと企画された絵本だろうから当然だが、「なぜ大躍進は失敗したのか」といったような政治問題は扱いません。《QED》


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