――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習36)

【知道中国 2370回】                       二二・五・念三

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習36)

彼女が北京大学に在籍していた61年から62年が最悪で、キャンパス内の木々に稔る果物ばかりか、柔らかい葉までもがアッと言う間に食べ尽くされ、枯れ木と化してしまった。北京の豪華ホテルで提供される料理は、スエーデンの乞食の食い物と同じ程度だったとか。

北京の街角でも郊外でも、旅先の天津や上海、杭州、蘇州、さらには武漢でも、彼女は大躍進の惨状を記録する。日本からの旅行団も同じ頃、同じような行程を辿ったはずなのに、豪華招待旅行を“堪能”するばかり。帰国後の報告などに目を通しても、「豊かな中国」「ハエもドロボーもいない中国」を語ってはいるものの、大躍進の惨状には全く触れてはいない。

スエーデンの名もない女子大生の目に見えていたものが、なぜ日本の大人には見えなかったのか。それが不思議でならない。そこで、この問題をもう少し。

 ロラン・バルトといえば記号論・構造主義で知られたフランスの哲学者・批評家であり、新左翼華やかなりし頃には、フランス共産党に反対し、ソ連を修正主義と強烈に批判していた。我が国にも蔓延っていた無責任な新左翼には、限りなく有り難い教祖サマだった。

1974年、在仏中国大使館が、バルトと数人の仲間を毛沢東思想原理主義の四人組が猛威を振るっていた文革末期の中国に招待した。「現地の中国人との接触が持たれないように、旅行コースはあらかじめ決められ、添乗員・通訳が常に同伴する上に、参加者が各自費用を負担するという旅行計画であった」(「訳者あとがき」)。4月11日から5月4日の間、上海、南京、洛陽、西安、北京と回っている。

中国各地での思いを綴った『ロラン・バルト 中国旅行ノート』(筑摩書房 2011年)には数多くの興味深い記述が見られる。たとえば、

 ■林彪、事あるごとに利用されるスケープゴート。

■いつでもどこでも重要なのは、ただ官僚制(階級制度、区分)が日常的・全体的に再興しているという問題である。

■(ある工場で)日が照っているにもかかわらず、ここは陰鬱だ。1日8時間? 彼女たちは汚らしい。そして口を開かない。

■(同じく工場で)趙は言った:「昔、女性は家で家事を行う道具でした。現在(頭を仕事場の方に向けて)彼女たちは自由の身になったのです。お金のためではなく、解放のために、社会主義の確立のために」。

■趙のおきまりの格言:中国体操:身体と精神のため。わたしならmens fada in corpora salopと言う方が好きだ。/mens・・・の意味は「狂った精神は汚れた身体に宿る」

■感謝の常套句、過去の常套句。〔これは、貧しい者たちのテーマ〕。

■人民公社の責任者、かなり怪しい人物:真の指導者、責任者の振る舞い――それがおそらくは権威である。

■襞のない国。風景は文化に仕立て上げられていない(土地の耕作を除いて):歴史を物語るものは何もない。・・・風景はだんだん素っ気ないものになる。味気のない国。/訳者は「cultureには『耕作』と『文化』の2つの意味がある」と注記する。

■すべてが中華思想。他国にも同様にさまざまな社会や村落がありうるという考えは全くない。民俗学はもみ消されている。比較研究は皆無。

■中華社会主義思想:すべては愛する公社、原始的な集産主義への嗜好。

■2人の若い労働者がいるテーブルにつく。彼らはとても清潔で、細い手をしており(《修理工》だろうか?)・・・ここの《労働者》は皆、細くて清潔な手をしている。

――バルトは「とても清潔で、細い手をして」いる若い労働者を、「《修理工》だろうか?」と素直に疑った。たしかに労働者が細くて清潔な手をしているわけがないだろうに。《QED》


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