――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習21)
「規律と自制の生活」を反映するように組まれた中学生の理想的日課が示されているが、それに拠れば、起床=7:00~7:15、体操・身体摩擦・洗面・身の回りの整頓=7:15~7:45、朝食=7:45~8:00、登校=8:00~8:20、学習(教室及び社会)=8:20~14:30、下校=14:30~15:00、昼食=15:00~15:30、戸外での遊び=15:30~17:00、予習=17:00~20:00、夕食と自由時間=20:00~21:00、就寝準備=21:30~22:00、睡眠=22:00~7:00――となる。
このような規律正しいソ連式24時間こそが、「党と政府が常に示す無限の恩愛に愧じることなき人生」を送る基盤とされる。
まさに『一晝夜二十四小時』はソ連への盲目的な傾倒振り、言い換えるなら心の底からのソ連信仰を物語るに十分だ。
『割掉鼻子的大象』には、2つの子供向け空想科学物語が収められている。
最初の「割掉鼻子的大象」は、この本出版から19年後の近未来の75年8月、科学専門記者が取材のため国営農場を訪れるところからはじまる。
かつて、そこは草1本も生えない不毛の地だったが、人民の奮闘努力の結果、わずか5年で「緑の希望」と呼ばれるまでの大農場に改造された。だが、この本には10年を経ずして狂気のように絶叫される「偉大な毛主席の教え」だの、「共産党の正しい指導」だの、「社会主義の輝かしい成果」だのといった類の常套句は、いくら探しても見当らない。
その代わり、近未来に出現するはずの豊かで穏やかな社会主義社会への素朴な憧れが微笑ましくも爽やかに綴られている。
農場の中心街から取材をはじめた記者の耳に、突然、「象を見に行こうよ。象だ、象だ」の子どもたちの驚きの声が飛び込んできた。入ってきた。その声がする方に走ると、確かに象の行列である。「国営農場のだ」「国営農場で、なんで象を飼ってるの」「鋤を引かせるためなんだ」「トラクターがあるじゃないか。象なんて使う必要はないだろうに」――象を眺め歓声を上げながら、子どもたちは互いの思いを語り合っている。
確かに見た目には象である。だが、どれも鼻を切り取られている。様々な疑問を胸にホテルに戻った記者に、この農場で働く中学時代の科学好きの同級生から招待状が届いた。
早速、農場の事務所へ。旧友と事務所の中を進むと、目の前を薄いピンクがかった白い肉の壁が遮る。それが街で見かけた鼻の欠けた象――旧友が改良に改良を重ねて産みだした大型豚の「奇跡72号」――だった。旧友の語る奇跡72号誕生秘話を記事に纏めた記者は、そこに「奇跡は科学から生まれる」と書くことを忘れなかった。
夜は奇跡72号を使った山のような料理である。
奇跡72号を産みだした旧友が「この豚は図体は大きいが、どれもが子豚であり、肉には油が乗っていてとても柔らかい。栄養満点の上に消化しやすい。味はバツグンだろう。我が新聞記者同志よ」と呼び掛ける。一方、記者は口いっぱいに肉を放り込んだため、舌が動かない。ただただ目を白黒させて頷くばかりだった。
第2話の「没頭脳和電脳的故事」の主人公は、みんなから「没頭脳(脳ナシ)」の渾名で呼ばれる小学生の孫山クンである。
毎朝、彼は「鞄は」「帽子は」「ソロバンは」「教科書は」と騒ぎ立て、家族中を巻き込んで大騒ぎを繰り広げる。整理整頓はまるでダメ。前日に置いた場所を忘れてしまう。だから「没頭脳」なのだ。
そこで技術者の父親は「養いて教えざるは父の過ちなり」との古くからの教えに従い一念発起する。かくて息子のために「電脳(人工頭脳)」を作ってやったのだが・・・《QED》