――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習52)

【知道中国 2386回】                       二二・六・念九

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習52)

『王杰日記』には、若い解放軍兵士が軍務の合間に綴った毛沢東の忠実な兵士に「翻身(うまれかわろう)」とする刻苦勉励の日々が記されている。いくつか拾ってみると、

 ■63年(日付なし)=「俺はレッキとした革命者であり、革命のための優秀な種となろう。党と国家から命ぜられるなら、何処にでも赴いて根を張り、花を咲かせ、実を結んでみせるぞ。必ずや砂漠を緑の長城に、荒れ果てた山をたわわに果実の稔る果樹園に、田を一面の黄金色の大地にしてみせるぞ」

■63年2月20日=「毛主席の立派な戦士である雷鋒――。彼がなしたことの一つ一つは平凡なことだ。だが、こういった平凡なことこそが彼の高貴な革命的品格を鍛え上げた。平々凡々な日常業務の中からこそ、人を感動させる偉大な事績が生まれるのだ」

 ■63年4月22日=「王杰よ、王杰、お前に警告しておこう。任務を遂行する際には、誠心誠意で言行一致、裏表なく苦労を厭わず、生真面目に取り組め。王杰よ、深く心に刻んでおけ。自らの欠点をしっかりと自覚し、断固として改め、虚心に学び、生真面目な人間にならんことを」

■63年8月21日=「旨いものを食べ、キレイな衣装を身に着けるなんてことは、じつは幸福でもなんでもない。貧苦に喘いでいる世界中の虐げられた人々が平穏な生活を送れるようになってこそ幸福といえるのだ」

■64年7月25日=「毛主席の著作学習は長期的視点から着目しなければならないし一生の大事だ。林彪同志が指し示す『問題意識を持って学び、活学活用し、実際の問題に結びつけ、先ず学び本質を掴め』の原則を生真面目に徹底して貫かねばならない」

 ■64年9月3日=「毛主席の著作学習を通じ、革命こそが我が理想であり、闘争こそが本当の幸福であることを身に沁みて学んだ」

 ――『王杰日記』は「新しい中国の次世代を見よ! 彼らは重い任務を担うことができる。彼らには祖国の建設と防衛ができるはずだ」で結ばれている。

 すでに見てきたように、林彪は解放軍を毛沢東支持の戦闘部隊に徹底して改造することを狙った。『毛主席語録』、毛沢東の人民解放戦争理論の世界版でもあり、世界の農村で世界の都市を包囲することを謳った「人民戦争勝利万歳!」と同じように、『王杰日記』もまた毛沢東派の劉少奇派に対する“紙の爆弾”であった。

 さて若き日の習近平は『王杰日記』を読み、「毛主席の著作学習を通じ、革命こそが我が理想であり、闘争こそが本当の幸福であることを身に沁みて学んだ」だろうか。

 まさに毛沢東派が準備万端整えて劉少奇派攻撃に転じ始めているというのに、どうも劉少奇派は手抜かり(慢心?)が過ぎたようだ。じつに毛沢東派が“紙の爆弾”を投入し、メディア全部門で絨毯爆撃を始めようとしているにもかかわらず、じつ対応がノロい。その一例を『飛機会干些什麼』(劉子吉 少年児童出版社)に見ておきたい。

 紺碧の空に見立てたであろう淡い青の表紙の上半分には大型旅客機、ジェット戦闘機、農薬散布中の複葉機、さらには真紅のヘリコプター。下半分には模型の飛行機やグライダーを手にはしゃぐ子供たち。誰の首にも、少年先鋒隊を示す真紅のスカーフが巻かれている。男の子は白いシャツに濃紺の半ズボンで、女の子は揃って長いお下げに中国風ブラウス。最初の頁の下半分には背中姿の女の子とこちらを向いた2人の男の子――花壇に座る3人を前に、男の子が立っている。その向こうには模型飛行機で遊ぶ子供たち。誰もが真紅のネッカチーフを首に。遠景は、大きな入道雲が浮かぶ青い碧い大空。

『雪山上的号手』が描く雪中行軍で厳寒の大雪山に挑む眦を決した少年兵士と比較すると、同じ56年に出版された児童少年向けの読み物とは思えない。ノホホンなのだ。《QED》


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