――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習175)

【知道中国 2509回】                      二三・四・初三

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習175)

「プロレタリア階級革命の導き手であるレーニンが、どのようにマルクス主義を研究しマルクス主義を広めたのかを熱く語り、大衆と強く連係し、大衆と深くかかわり、労農大衆のために著作し、理論と実践とを結合させ、闘争の中で創造的にマルクス主義を研究し、より深い次元で著作を進めたこと」を記しているゆえに、『列寧是怎様学習的』は「我われがレーニンの思想方法と工作方法を学ぶうえで、豊かな材料を提供してくれる」と説く。

どうやらレーニン夫人の回想録を熟読玩味・徹底学習し「レーニンの思想方法と工作方法」をシッカリと身につけたなら、レーニンのように素晴らしい「宣伝家で煽動家」、つまり過激・巧妙なアジテーターになれるらしい。

『列寧是怎様学習的』に拠れば、レーニンは�なにものにも揺るがぬ断固たる信念、�徹底して掘り下げて問題を理解するために思考を持続できる能力、�理論と現実の生活を有機的に結びつけ、理論を噛み砕いて説明することで身の回り人々に現実を理解させる説得力、�理論を有機的に行動の指針に変えることに秀でた実践的応用力、�万全の演説原稿を準備するための秀でた企画力・修辞力を兼ね備えていた。これを言い換えるなら万能の扇動家であったことになる。

だからこそ「問題を鋭く提示すると同時に、己の五体に満ち溢れた熱情を迸らせて聴衆を引きつけ」、「聴衆の心を掴み、聴衆との間に必要不可欠な相互理解を打ち立てることに長けていた」とわけだ。

レーニンは倦まず弛まず書物を読み、考え、理解し、社会の様々な現実問題を解決するための方策を考え出した。かくして「要点を掴んで自己の思想の全体像を理解」し、他人に判り易く説明する一方で、「聴衆に対しては同志として接する。ここにこそレーニンの強力なプロパガンダの源泉がある」ことになる。

マルクスの著作の研究は当然であり、さらに一歩も二歩も進めて、「敵との論戦の過程でマルクス主義の基本原理を明らかにしていった」。「主題を設定し、主題を論述し、修辞上の工夫を凝ら」しながら、「マルクス学説の通俗化」に努めた。まさにレーニンの一生を貫いたのは「革命の理論がなかったら革命運動などありえない」との鉄の意志・信念だったらしい。

『列寧是怎様学習的』は扇動家としてのレーニンの超人的な能力とプロパガンダの破壊力を最大限に讃える一方で、レーニン学説を「実際行動におけるマルクス主義であり、帝国主義とプロレタリア革命時代のマルクス主義」と位置づけた――どうやら、この辺りが文革時代の共産党が推奨する典型的なレーニン像になるだろう。

習近平政権は「主題を設定し、主題を論述し、修辞上の工夫を凝ら」しながら「戦狼外交」を展開してきたが、あるいは、その原点は『列寧是怎様学習的』の学習――優れたアジテーターによる絶え間ない対外的プロパガンダ――にあったのではなかろうか。恐るべしレーニン、いや『列寧是怎様学習的』である。

これを要するに、レーニンを学習することは第三者を巧妙に誤魔化し、騙し続け、信服させる術を学ぶことに通じるようでもある。ならばレーニンを反面教師として学べば、扇動家の詭弁を見抜く術を身につけることが可能になるとも思えるのだが。

次の『怎様打算盤』だが、じつに不思議な本ではある。

それというのも、当時の出版物の“定番”であった『毛主席語録』からの引用も全く見られない。行間に必ず記されていた扇情的で攻撃的なアジテーションの文字も見当たらないし、大仰な毛沢東賛美が繰り返されているわけでもない。だからウンザリするほどに強烈な文革臭が感じられない。要するに、政治的には無色透明無味無臭なのである。《QED》

【知道中国 2509回】                      二三・四・初三

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習175)

「プロレタリア階級革命の導き手であるレーニンが、どのようにマルクス主義を研究しマルクス主義を広めたのかを熱く語り、大衆と強く連係し、大衆と深くかかわり、労農大衆のために著作し、理論と実践とを結合させ、闘争の中で創造的にマルクス主義を研究し、より深い次元で著作を進めたこと」を記しているゆえに、『列寧是怎様学習的』は「我われがレーニンの思想方法と工作方法を学ぶうえで、豊かな材料を提供してくれる」と説く。

どうやらレーニン夫人の回想録を熟読玩味・徹底学習し「レーニンの思想方法と工作方法」をシッカリと身につけたなら、レーニンのように素晴らしい「宣伝家で煽動家」、つまり過激・巧妙なアジテーターになれるらしい。

『列寧是怎様学習的』に拠れば、レーニンは�なにものにも揺るがぬ断固たる信念、�徹底して掘り下げて問題を理解するために思考を持続できる能力、�理論と現実の生活を有機的に結びつけ、理論を噛み砕いて説明することで身の回り人々に現実を理解させる説得力、�理論を有機的に行動の指針に変えることに秀でた実践的応用力、�万全の演説原稿を準備するための秀でた企画力・修辞力を兼ね備えていた。これを言い換えるなら万能の扇動家であったことになる。

だからこそ「問題を鋭く提示すると同時に、己の五体に満ち溢れた熱情を迸らせて聴衆を引きつけ」、「聴衆の心を掴み、聴衆との間に必要不可欠な相互理解を打ち立てることに長けていた」とわけだ。

レーニンは倦まず弛まず書物を読み、考え、理解し、社会の様々な現実問題を解決するための方策を考え出した。かくして「要点を掴んで自己の思想の全体像を理解」し、他人に判り易く説明する一方で、「聴衆に対しては同志として接する。ここにこそレーニンの強力なプロパガンダの源泉がある」ことになる。

マルクスの著作の研究は当然であり、さらに一歩も二歩も進めて、「敵との論戦の過程でマルクス主義の基本原理を明らかにしていった」。「主題を設定し、主題を論述し、修辞上の工夫を凝ら」しながら、「マルクス学説の通俗化」に努めた。まさにレーニンの一生を貫いたのは「革命の理論がなかったら革命運動などありえない」との鉄の意志・信念だったらしい。

『列寧是怎様学習的』は扇動家としてのレーニンの超人的な能力とプロパガンダの破壊力を最大限に讃える一方で、レーニン学説を「実際行動におけるマルクス主義であり、帝国主義とプロレタリア革命時代のマルクス主義」と位置づけた――どうやら、この辺りが文革時代の共産党が推奨する典型的なレーニン像になるだろう。

習近平政権は「主題を設定し、主題を論述し、修辞上の工夫を凝ら」しながら「戦狼外交」を展開してきたが、あるいは、その原点は『列寧是怎様学習的』の学習――優れたアジテーターによる絶え間ない対外的プロパガンダ――にあったのではなかろうか。恐るべしレーニン、いや『列寧是怎様学習的』である。

これを要するに、レーニンを学習することは第三者を巧妙に誤魔化し、騙し続け、信服させる術を学ぶことに通じるようでもある。ならばレーニンを反面教師として学べば、扇動家の詭弁を見抜く術を身につけることが可能になるとも思えるのだが。

次の『怎様打算盤』だが、じつに不思議な本ではある。

それというのも、当時の出版物の“定番”であった『毛主席語録』からの引用も全く見られない。行間に必ず記されていた扇情的で攻撃的なアジテーションの文字も見当たらないし、大仰な毛沢東賛美が繰り返されているわけでもない。だからウンザリするほどに強烈な文革臭が感じられない。要するに、政治的には無色透明無味無臭なのである。《QED》


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