――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習116)

【知道中国 2450回】                      二二・十一・廿

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習116)

先ず毛沢東が攻撃を仕掛けた。

71年1月に首都を守る北京軍区から林彪系部隊を移動させ、毛沢東支持派の部隊に入れ替えた。ここで「劉少奇の轍は踏みたくない」とばかりに林彪が反撃に出る。

林彪の息子の林立果が70年10月に空軍内に秘密裏に組織していた連合艦隊と名づける親衛部隊を動かし、71年3月には毛沢東暗殺計画を策定し実行に移そうとしたが失敗。かくて9月、林彪はソ連への逃亡を企てたがモンゴル領内に墜落死した(正確には「墜落死したことになっている」とすべきだろう)。

毛沢東との対立から死まで。林彪の動きは不明な点が多すぎる。権力をめぐる“宮廷対立”は古今東西を通じて些細な事情から暴発しがち。毛と林の対立も疑心暗鬼が妄想を増幅させて起こった悲喜劇と思われる。だが、なによりも滑稽なことは両者の対立が先鋭化した渦中でも、公式メディアを使って「偉大なる領袖毛主席と彼の親密なる戦友である林副主席」の親密さを訴え、表面を繕い、現実を隠し通さなければならないことだろう。

林彪事件の“真相”が公式発表され以降、公式メディアは堂々と、臆面もなく“手のひら返し”である。やはり勝てば官軍だが、負ければ賊軍なのだ。「偉大なる毛主席の親密なる戦友」は、「偉大なる毛主席」に楯突いた極悪非道の犯罪者と徹底糾弾されることになる。

であればこそ、やはり共産党政権の公式見解は眉にツバを、何回も何回も・・・何回も付けて聞かねばならないようですが・・・。

『認真進行路線教育』(香港三聯書店)も内容と出版時期が余りにも微妙、いや悲しいまでにミスマッチとしか表現しようがない。

巻頭に置かれた論文は「光り輝く1971年がやって来た。我ら毛主席に心からなる忠誠を誓う労働者階級は勝利の気魄を全身に漲らせ、偉大なる領袖毛主席の万寿無窮を衷心より希う」と異常な筆致で書き出される。共産党北京新華印刷廠委員会が執筆した。

その大意は「劉少奇が企てた資本主義復活の間違った路線との戦いは終結したわけではなく、つねに復活の機会を狙っている。油断は禁物だから、今後も徹底して毛主席の教えを貫け」になるわけだが、『認真進行路線教育』が出版された71年6月の時点で、すでに「光り輝く1971年」ではなくなっていたわけだから、なんとも無残でオ粗末極まりない話としか言いようはない。

共産党の指揮命令系統も存外に小回りが効かないものらしいことを、問わず語りに語っているようだ。

我が積読蔵書のうちの1971年分の最後の1冊が、毛沢東の権威を最高潮に「拍馬屁(ヨイショ)」しようと試みた『人民日報』、『解放軍報』、『紅旗』や北京、雲南省、山東省、遼寧省、江蘇省、河南省などの共産党委員会が発表した論文を集めた『総結加強党的領導的経験』(人民出版社)である。 

   

どれも同じような内容だが、モノは試しである。江蘇省党委員会の「党の優良な作風を発揚せよ」を読んでおきたい。

先ず「党の作風問題は重大な原則問題であり、路線と密接な関係を持つ。路線には路線の作風があり、とどのつまり作風は定められた路線に服務するものである。党の優良な作風に注意することで、はじめて毛主席のプロレタリア階級革命路線を貫徹することが保証できる」と切り出し、「悪い作風」は弊害しかもたらさないと指摘する。

「マルクス主義に反対する一切の悪い作風は、毛主席の革命路線貫徹にとって極めて重大な障害である。だが、この認識が不足する同志にあっては、往々にして作風を小事と思い込み、作風の善悪と路線とは関係なしとするが、完全な誤りだ」と力説する。《QED》


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