――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習112)

【知道中国 2446回】                      二二・十一・仲一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習112)

これを言い換えるなら漢族系、少数民族系と問わず、いや海外に逃れたチベット族まで、およそ共産党政権が「神聖不可侵の領土」と見なす――つまり勝手に思い込んでいる――地域を故地とする海外在住者は、押し並べて華僑・華人、いわば「準中国人」として扱われてしまうことになるわけだ。よくよく考えれば、いや考えなくても、やはり横暴極まりない話で、身勝手が過ぎる。

さて、この種の「準中国人」は尖閣を、どのように考えるのか。

思い起こせば香港返還前後、中国では「ノーと言う中国」をテーマとする出版ブームが起こり、関連書籍が続々と出版されたことがある。そのブームの渦中で、次のような主張が聞かれた。

――明代から毛沢東の時代まで、一貫して海外との関係を断っていたからこそ、表面的にはともかく、実態的には衰退するばかりだった。�小平による対外開放は、衰退した国情を一大転換させる大きなキッカケであった。我が国の発展には「接軌(国際社会の動きに沿う)」の姿勢が必須である――

いまから振り返れば、当時はまだまだ健気であり、マトモであったと思える。であればこそ、現在の北京から「接軌」の2文字が聞かれることはない。むしろ3期目に入った習政権の振る舞いからは「接軌」の「軌」は中国の価値観であり、その「軌」に世界が「接」するべきだ、といった横暴さすら感じられるほどだ。ともかくも鼻息は、極めて荒い。

さて、そこで考えるのだが、「現」、「元」、「準」を問わず、凡そ「中国人」を掲げる人々が意識・無意識に拘わらずに中華民族至上の領土観を抱いていたとしたら、尖閣に対しても「中国とは切り離すことのできない神聖不可侵の領土」との考えを心密かに持っているのだろうか。

改めて思い知るのだが、中国とは中国人とは、なんとも厄介極まりない。だから面白い。

閑話休題。

71年当時に戻るが、この年の後半になると商務印書館の「歴史知識読物」と題するシリーズの出版が始まった。どんな内容か。手許に残る4冊を紹介すると、

――「パリのプロレタリアが鉄砲を手に革命的暴力によってブルジョワ階級の政権を奪取し、ブルジョワ階級による国家システムを徹底して打ち破った基礎のうえにプロレタリア独裁の新たな国家を打ち立てた。僅か71日であったとはいえ、コンミューンを打ち立てた男女の英雄はこのうえない偉大な歴史的経験と尊い歴史的教訓を残してくれた」と、1871年のパリコンミューンを称える『巴黎公社』(北京大学国際政治系編)。

「共産主義者同盟は解散したが、国際的な労働者運動の怒濤の中で発展していった。同盟の綱領である共産党宣言の革命原則と『全世界のプロレタリア、団結せよ!』との偉大なスローガンは、国際プロレタリア運動の偉大な、そして永遠の旗印となった」と説く『共産主義者同盟』(張友倫)

「第一インターは、一切の機会主義は一時はこのうえない勢いを示していようとも、プロレタリア階級による革命の発展する過程で必ずや破産し失敗することを教えている。帝国主義、修正主義、国際反動派の終末は近い。我々は全世界のプロレタリア階級、被抑圧人民・民族と共に立ち、一切の力を結びつけ、全人類の徹底した解放のために最後の最後まで戦い抜く! 第一インターの革命精神は永遠に不滅だ!」と叫ぶ『第一国際』(張友倫)

「インターナショナル」を作ったウジューヌ・ポティェを「プロレタリア詩人」、ピエール・ドジューテルを「労働者の作曲家」とし、2人は「プロレタリア階級革命の輝ける歴史書に永遠に記される」と称える『《国際歌》作者 鮑狄埃和狄蓋特』(馬啓莱)――《QED》


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