――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習111)
かつては中華人民共和国(大陸)であれ、中華民国(台湾)であれ、香港(イギリス殖民地)やマカオ(ポルトガル殖民地)であれ、そこに住む人々は誰もが自分を――意識するしないに拘わらず――「中国人」と考えていたと思うのだが、現在では明らかに事情は違ってきた。
現在の台湾では、「台湾は中国の一部ではなく、古来一貫して台湾だ」「台湾は民主国家で独裁国家とは違う」との主張と重なる形で、「中国人ではない。台湾人だ」との考えが一般的だとされる。そこで知りたいのが、「台湾人」は尖閣をどのように考えているのか、である。
香港でも習近平政権による「一国両制」に対する過剰な介入が進められる過程で、「中国人ではない。香港人だ」「香港は独立すべきだ」との考えが広まる。その香港から「釣魚台防衛」を掲げた「民間団体」の活動家が乗り込む小型船舶が尖閣海域に出没し、過激な行動を繰り広げるのも再三再四。そこで「香港人」を名乗る人々は尖閣にどのような思いを抱いているのか。知りたいところだ。
近代に入って反日運動が起こり、運動を繰り広げる学生に向かって中国官憲が強圧姿勢で襲い掛かるや、「中国人不打中国人」との声が上がった歴史がある。こういった伝統は消えることなく続いた。
たとえば1989年の天安門事件の際、「最高実力者」として共産党政権を統御していた�小平を頂点に楊尚昆、李鵬ら「保守派」は人民解放軍に出動を命じ、天安門広場や北京の中心街に展開した「民主派」を戦車や銃器で粉砕し、強制排除した。
あの日の惨劇状況が西側メディア、華語ネットワーク、あるいは口コミを通じて海外の華人社会に伝わるや、海外華人の間から「中国人不打中国人」の声が上がった。当時、筆者が長期滞在していたバンコクの華人社会もザワつき、憤激したものだ。
現地華人社会の頂点に立つ中華総商会主席は、「素手の愛国的学生民衆に対する流血行動を即時中止せよ」と中国政府に公開書簡を送っている。華人社会最長老の1人は「天安門を血で汚したのは誰だ」と強く非難し、「北京政府からの招待を拒否」することで抗議の意志を表すのであった。
バンコクで発行されていた華字紙の『星暹日報』『中華日報』『世界日報』『新中原報』など全紙が一斉に「中国人不打中国人」のキャンペーンを張り、多くの華人団体は在タイ中国大使館前で数日に亘って集会を開き、「中国人不打中国人」の声を上げた。
この時、「中国人不打中国人」を叫んでいる華人(正確には「泰籍華人」)は、自らを「中国人」と考えていたのだろうか。あるいは自らを「元中国人」と見なし、その「元中国人」から現在の「中国人」に向けて“心の声”を投げ掛けようとしたのか。彼らが叫ぶ「不打」の前の「中国人」は�小平ら弾圧側が、「不打」の後に置かれた「中国人」は犠牲になった「民主派」が想定されていたに違いない。
天安門事件は一先ず措くとして、「元中国人」は尖閣をどのよう位置づけているのか。
ここで考える。問題、いや大問題は共産党政権が「元中国人」までをも、いわば「準中国人」として権力の及ぶ範囲内に囲い込もうとしている点である。
『華僑華人在中国軟実力建設中的作用研究』(経済科学出版社、2015年)は海外在住の中国系を5000万人余と推計するが、注目すべきは海外在住者に対する姿勢を従来の「重漢軽少(漢族を重視し少数民族を軽視する)」から「漢少并重(漢族と少数民族を同様に扱う)」へと転換すべきと訴えている点だ。この主張に従うなら、「逃亡藏人(逃亡チベット族)」も華人(「元中国人」)に含まれてしまう、のだ。正気の沙汰であるワケがないだろう。《QED》