――「由來支那國民は經濟的、然り利益的觀念が強い」――片山(3)
片山潜「支那旅行雜感」(大正14年)
日本の紡績業は行き詰まりを打開するために、「原料と勞働力が低廉で而かも綿産物の需要は無限であると云つてもよい」中国に進出している。「外來資本家が支那勞働者を搾取する目的は最低賃金が主眼である」。この点は、毛沢東が産み出した「貧困大陸」が対外開放に依って「世界の工場」へと変質した経緯を思い起こさせる。
「支那の勞働運動は日本に比べて堅實な所がある、團結力の點に於ては慥かに支那勞働者の方が日本の勞働者よりも強い。裏切り者、スキヤブなどを出すことは少ない」から、「同情罷工は年中行事であるとも云へる程盛んであ」り、「官憲は必ずしも雇主工場の味方ではな」く、「支那の勞働運動は既に業に政事を加味して居る」。「支那今日の共産主義者等は日本の所謂共産黨主義の首領とは大いに赴きを異にする所があつて彼等勞働者及農民(廣東の)が堅固なる背景を成す」。これでは「日本の所謂共産黨主義の首領」はゴ立腹だろう。
「由來支那國民は經濟的、然り利益的觀念が強い、否な寧ろ之を國民性とも云ひ得る程、利益には、個人の利益には機敏である」。だから「團體行動に出で、罷工を斷行して其目的を達する。彼等は利益を通じて終に階級意識を發見し此處に階級鬪爭を敢てするに至るのである」。また「支那勞働者は比較的團結心に富んで居る」から、「首領の命令によく服從する」。そこで「演説やら散らしで煽動することの容易な人民である」。
また「支那の勞働者は一般人民は殊に然りであるが官尊民卑の感情が些少もない。殊に官憲を恐怖すると云ふ觀念は更に無い。之は長い間、外國人種なる滿洲朝廷に支配された結果かも知れない」。
ここまで労働運動が発達しているにもかかわらず、国内の混乱は止まない。やはり「今日支那の難問題は無論軍閥の跋扈橫暴」だが、「軍閥の跋扈は外國の支持がなかつたならば殆ど勢力を成さない」。外国の支持を背景にする「支那政治家や軍閥首領の腐敗」は「今日に始まつたことではな」く、「金の爲めには何うともなる」。「僕は支那に來てツクヅク感じたことは、支那今日の急務は軍閥打破にある、關税の改正、治外法權の撤廢にある。幣制の改革も亦必要であらうし然れども是等は何れも容易な業ではない」。
アレもダメ、コレも困難。「現下の借款を整理して更に大仕掛の大借款を爲して以て支那を統一して救濟」する以外、現実的救済方法はみつかりそうにない。だが「支那に於ける列強も支那を全然其勢力下に奴從せしめて何時迄も搾取せんとする考へである」から、「彼等は支那人民の勃興を恐怖して居る。強大な支那中央政府の起こることを望まない」。
そこで片山は「非常手段に出づるにあるのみ」と「建策」する。「非常手段を以つて支那の經濟的及政治的獨立を計るには革命に依るの外はない」。そして「此革命は支那の小資本家と勞働者と農民と結合して軍閥を打破して此處に自由政治を布くのである」。
「若しも此際彼等列強が頑迷不靈にして支那四億の民意に背き搾取をつゞけんとするならば、支那は結局勞働露西亞に做ふの外なからん、而て其北隣の勞農共和國は喜んで支那を扶くべし」。「經濟的地位は進歩しつゝあ」り、「輸出入は増加しつゝあ」り、「敎育は國民間に盛んになりつゝある」。「彼等勃興の勢ひは揚子江の流れを堰き止むる能はざるが如く非常の勢を以て進みつゝある」。「是れ僕が支那に來て感じたるありのまゝの所感である」。
だが「上海の五・三〇事件をへき頭とする中國民族解放運動の嵐は夏ごろから反動をよびおこした」。「市内は戒嚴令が布かれ」、「勞働者のストライキはなお十月までつずいたが、その後はもはや繼續する力を失つた」(德田)のだから、片山の「所感」は現実に裏切られたことになる。それにしても片山のノー・テンキ振りも、やはり相当なもの。NHK人気番組の「チコちゃんに叱られる」に倣うなら、おい片山、つまんねえヤツだな~ッ。《QED》