――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(14)中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政敎社 大正四年)

【知道中国 1758回】                       一八・七・仲一

――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(14)

中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政敎社 大正四年)

 敢えて言わせてもらうなら、中野にしてから甘い。だが、当時の日本の勢い、国際社会に占める日本の影響力からすれば、日本が相手の風下に立つことなど考えられなかっただろうから、一概に中野を責めても致し方がない。むしろ「事毎に卑屈退讓」するばかりの政府当局に較べるまでもなく正しい。だが、中野にも時代の限界はあろう。

「實は隣邦互いに有無相通ずるの妙法」を説いたところで聞く耳を持たない彼らには、「99回言い聞かせても判らないなら、100回目にはブン殴れ」という毛沢東の教えを実践するしかなさそうだ。だが言い聞かせる回数の多寡はともあれ、「ブン殴」る心構えと準備が問題となる。

 優れた知日派知識人で新儒家の代表ともいえる徐復観(1903年~82年)は日本民族を評して、「日本民族の性格は極端に流れやすく、悲劇的な性格を現出する」「誇り高く向上心に富む民族だが、同時に熱狂的ですぐさま自滅に向かう民族である」「普段は慎ましく自分の殻を守っていたのに歯止めが利かなくなる」(『儒教と革命の間 東アジアにおける徐復観』黄俊傑 集広舎 2018年)とするが、これに宮崎滔天の「一気呵成の業は我人民の得意ならんなれども、此熱帯国にて、急がず、噪がず、子ツツリ子ツツリ遣て除ける支那人の氣根には中々及ぶ可からず」(「暹羅に於ける支那人」『國民新聞』明治29=1896年12月15日)を重ね合わせれば、99回分の説得であれ100回目のガツーンであれ、効果的に試みることは容易ではなさそうだ。

 たとえば国連機関から東シナ海の海底に有望なエネルギー資源が埋蔵されている可能性が指摘される1970年代初頭以前、彼らはこの海域に関心を示すことはなかった。ところが国連機関が動き出すや、先ず台湾の国民党政権は「中華民国政府」の立場から東シナ海に強い関心を示し、次いで北京の共産党政権が「中華人民共和国政府」として当該海域は有史以来中国が領有するものであると言い出した。ここで日本側が如何に情理を尽くしても、いや情理を尽くせば尽くして説得するほどに彼らは耳を貸すわけでもなく、「後世の人々は知恵がある。いずれ的確な判断をするはずだから、それまで領有権問題は棚上げ」と言い張るばかり。中国側による問題先送りの申し出を受け、「事毎に卑屈退讓」する我が政府当局(親中政治家に外務省)は得たりかしこしと同意するのみ。

これが中国側の時間稼ぎであることは明白。海底資源をゴッソリと掻き集める技術開発に励む(産業スパイの暗躍!)一方、海上兵力を増強させる。かくして今に至って日本側は動きがとれない。

 だが、だからといって、現時点で東シナ海において「我人民の得意」を発揮できるかというと、これまた至難。いやムリだろう。では、どうすればいいのか。現実的に毛沢東の「100回目」を行使するわけにはいかないだろうし、俄かに即効性のある方策を思いつくわけでもない。ならば「100回目」に備えるべくハード・ソフト両面で内外態勢を調えながら、「99回」を繰り返すしかないと思うのだが。

 ここで中野に戻りたい。

 既往の合弁鉄道の実態に接し我が政府の満州政策の失敗を思い知らされた中野は、新たに浮上している「滿蒙五鐵道の中、洮南府四平街間、長春洮南府間の二路線は最も重要」だと指摘する。それというのも、この両路線は共に「滿洲を根據として蒙古に延びんとする積極的の意味を有」するだけではなく、「單に滿洲を本位として西方にのみ眼界を限ることなく、北のかた露西亞を望み、東のかた吉林を經て、松花江及び圖們江の上流一圓の地を經營するに於て、最も貴重なる價値を有する」からである。《QED》


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