――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(17)中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)

【知道中国 1761回】                       一八・七・仲七

――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(17)

中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)

中野は「伊藤公の殺されしてふ」ハルピン駅で列車を待つ間に「豚の選り別け」を眼にした。

「幾百千人とも見ゆる辮髪の苦力等が、雪崩を打つて列車の乘口に攻め寄せ」る。「罵り叫ぶ聲喧しく、大騒動にても起りたらんが如き氣色なり」。彼らの前に立ちはだかるのは、「蓬々たる鬚髯、渥丹の面、猛り狂ひて大聲を揚げ」ている「露國下士官」だった。彼は押し寄せる乗客の切符を点検し、所持していなかったら「或は盆大の平手を以て、�面を歪むほど叩きあげ、或は蠑螺の如き拳固を堅めて?桁の外るゝ程撲りつけ、偖髪を?みし右手を強く振へば、苦力は毬の如く一二間向ふに投げ出される。其有樣恰も豚の善惡を選り別けて、可なるものを積載し、不可なるものを棄つるが如し」。彼らが乗り込んだ三等列車内を覗いて見ると、「此種の豚尾漢等、到底人間竝の衞生を以て律す可らざるなり」。いやはや、じつにタマラン。

それにしても「豚の選り別け」とは、じつに的を得た表現というべきだろう。

中野は「吾人は殘念ながら此等の苦力と同種類の黄色人種」であればこそ、ロシア兵の扱いには「流石に不愉快ならざるを得ず」と立腹するが、これこそが現実的で最も至極な「殖民地の土人統御策」だと考えた。

たとえばコッサクは馬を我が子のように扱う。だが調教に当たっては時に「亂打亂?殆ど息の根を止める」ほどだ。「是を以て馬は其主人の親しむべきを知ると共に又其の侮り狎る可らざるを思ひ、其命に服すること手足の如きに至る」。つまりロシア人はコサックが馬を扱うように苦力に接するからこそ、「支那人は喜びて親しめども、侮りて害するの意を起す能はざる」ことを身に沁みて知ることになる。

ところが日本人はロシア人とは全く違う。馬を御すに喩えれば、「叱聲口に絶えず、鞭影常に動き、馬は甚だしく主人を恐れずと雖も、寸時も氣を安んずることなし」。つまり日本人の対応はロシア人の反対だから、相手はイライラ落ち着かない半面、日本人の性質を知って足元を見切って舐め掛かってくる。だから脅しが効かない。かくして「日本政府は、如何なる侮辱を被ることなるも、敢て支那政府及び人民を威嚇する能は」ず。

これが外交面に現れると、「列國の顔色を覗ひて、男らしく口を利けざる我外交官が、個人としては弱き支那人に對するや、俄に威猛高にな」ってしまうから、余計に舐められてしまう。「傍より之を見ても噴飯に堪へざる次第なり」。

かくして中野は、「畢竟露西亞人の支那人に對する腕は、強大なれど小八釜しからず、日本人の支那人に對する手先は小賢しけれど微弱」であり、ロシア人は「嚴父の如く」に対応するが、日本人は「ヒステリーの繼母の如」くに接する。かくして「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして、却て小男の爪先にて爬きむしらゝを嫌惡するなり」ということになるわけだ。

ロシア人は「支那人が大概の狡猾手段を講ずるも容易に怒らざる」が、舐めて掛かったら半殺しにしてまでも同等ではないことを徹底して教え込む。「是を以て支那人は喜びて親しめども、侮りて害するの意を起す能はざるなり」。一方、政府も民間も日本人は「如何なる侮辱を被ることあるも、敢て支那政府及び人民を威嚇する能は」ないばかりか、「其代わりに局部々々に於て、所謂硬手段を取る者多し」。

「硬手段」と称して「徹底せざる小威嚇を支那個人に向つて加ふる者續出し」ているが、これが「軟弱なる官憲の代表者」にまで及び、「臆病者の痩臂を張りて、?々者流と共に妄動せんとするなり」。なぜ、こういった振る舞いしかできないのか。《QED》


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