――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(13)中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)

【知道中国 1757回】                       一八・七・初九

――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(13)

中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)

 もし日露戦争で日本が破れていたら、「滿蒙の野は必ずやスラブの馬蹄に蹂躙せられ終りしならん」。加えて日本が満州を経営することで「年々幾千萬圓の巨額が滿洲の土地を潤ほす」。かくて「支那人の受けたる利�は決して尠少ならず」。中野が以前に旅行した時と較べても、「支那街、支那村落の外觀は改まりしなり」。一般には満洲は「支那最貧の地」とされるが、「少なくとも滿鐵に沿へる一帶の地方は、確に南支那地方に比して富裕なる状態を呈」している。それも「何者の恩惠にも非ず、全く我國の恩惠」である。

 客観情況に立てば「滿洲なるものが支那の實力を以て維持する能はざる」以上、「日本が利權を獲得して滿洲に投資し」、結果的に現地人が恩恵を受けている」。いわば「双贏(ウイン・ウイン)関係」にあるはずだが、「事毎に我附屬地に對して惡意的行動を取り、我施設によりて富みながら我發展を阻碍しようとする」。こういった振る舞いは、やはり「彼等の利己的猜疑心」に起因するものだ。だが、それは日本人に対するというよりは、「彼等相互間の猜疑心」に発するというべきだろう。

 たとえば、ある「支那地方官憲」が日本側当事者との間の「善良の關係」を基礎に新規事業を立ち上げようとすると、「彼等は他を忖度するに必ず自己の陋劣なる心事を準繩」にして、なにか不正な利益を得たはずと疑うばかりか、「(ヤツは)日本人の爲めに籠絡せられて、某々の利權を讓りたり」と、「眼を瞋らし肘を張り、果は胸を叩きて痛嘆し、次で流涕長大息の藝當を以てし、最後に地上の輾轉して慟哭す」る。根も葉もない噂が噂を呼び、やがては噂が真実とされ新規事業は中止せざるを得ず、「(当該)地方の繁榮に向ふべき必然の利�を犠牲にするに至る」という残念な結果に終わってしまう。

 一事が万事この類だが、「然らば之に對する政策は如何」。中野は「日本は滿洲に於ける利權に就て、今少しく大膽に(支那の)中央政府を壓伏して、遠慮なく之を獲得するに意なきか」との「或る滿洲に於ける有力な支那大官」の話を引く。つまり地方(出先)の小役人を相手にすると、彼は自らが管轄区域の民衆、周辺の同輩、さらには中央政府にまで神経を使わなければならないから、勢い話は進まない。だから「實際露西亞」が満州や外蒙古で展開しているように、上からガツンと「中央政府を壓伏」すれば、彼らとて「慷慨憂國流涕長大息の演劇」をする必要がなくなるから、存外に話は進むということだ。

 「今日我國が滿洲に發展して、東亞に於る我地歩を安全にせんとするに當、最も緊急缺く可からざる者は」、鉄道延伸に伴って生ずる附属地において「自由に支那人と相交�するの途を講ずること」である。その柱は「土地所有權及居住權」だが、これは「支那人既に其の已むを得ざるを認め、歐米人も亦其必然なるを」知っている。だから利権獲得に当たって日本政府は「僞慷慨家の蜂起を豫防する」ためにも「其聲を小にして、其實積を大に」すればいいのだが、「我政府は此間の呼吸を解せず、事毎に卑屈退讓」するばかりか、チッポケな利権を大々的に吹聴するから徒に「彼國の憤慨家を煽動し」、結果として「今後の利權獲得を困難にする」ことになってしまうのだ。

 互いの不足を補い、日本が資本と技術を、相手が豊かな天然資源を提供しての合弁事業は双方にとって利益をもたらす。これこそ「利權の讓與と言へども、實は隣邦互いに有無相通ずるの妙法」に外ならず、「我國上下も、此の意を支那の上下に徹底せしめ、而して其利を頒つに就て、毫も不信の行爲ある可からざるなり」と力説する。だが「此の意を支那の上下に徹底せしめ」ても、自分たちが優位に立ったら彼らが「其利を頒つ」ことなど考えるわけがないことに、中野は気づいていない・・・甘い。要するに甘いのである。《QED》


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