――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(30)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)
歴史を振り返れば日本も平安朝のように「文弱の弊に陥りたる例」があるし、「支那と雖も、時と場合とによりては、武勇を以て、國を立てたるものもあり」。だが武勇を必要とした場合、「恰も肉を好む者が、屠者を必要とするが如く」であり、必要なくなったらポイ捨て状態に近く、「決して國民的名譽の標的にはあらざりし也」。つまり国はもとより民もまた武を支える栄誉を武人・兵士に与えることはなかった。
かくして「兵士となる者は、社會の喰込者、廢棄者、厄介者にして、乞食、盗賊と相距る一歩のみ」であり、「兵士彼自身も、無代にて酒を飲む爲め、奸淫を恣にする爲め、軍服を著て強盗を働く爲めに、之に投ずる者、少からざる也」。
いわば「支那に於ては、軍隊とは、隊を組みたる持兇器強盗の異名」というものだ。だから「人民は討伐せらるゝ匪徒よりも、却て討伐する官軍に向て、より多くの鬼胎を懷く」のである。
■「(四九)模擬戰爭と模擬賭博」
子供の遊びというものは、大人の振る舞いの反映である。日本では「小童の遊戯は、概ね模擬戰爭」であり、それは日本の「社會に於ける尚武の氣風」を物語っている。一方、「今回の支那旅行中」に屡々目撃した「支那の小童の遊戯」は、「地に畫きて、何やら小片を投じ」て勝負を決めるもの。「云はヾ支那人大好物の、賭博の類と思はるゝ也」。
「支那に於ては、兵士は戰爭する爲め」ではなく、「戰爭せざる爲め」に置かれている。彼らの戦争とは斬り合い撃ち合い血を流し命の遣り取りをするものではなく、「兵士は將棋の駒の如く、互ひに之を並べて、其の勝敗を決する」もの。時に「打ち合ふ事あるも、そは唯だ目的の外れたるが爲」、つまり両陣営指揮官の見込み違いの結果であり、「何處迄も兵士は戰爭せざる爲めの要具」ということになる。
――この徳富の考えが正しいとするなら、彼らにとっての戦争は賭博に近いようにも思える。将棋の駒のように戦場に兵士を並べたうえで、劣勢と判ったら大金を振り込んで相手を買収する。古くから「憫れむ可し堂々たる漢の天下、只に黃金四萬斤に直するのみ」といわれてきたが、まさに戦争とは敵を買収することでもあるわけだ。――
■「(五〇)地力の防御乎他力の防御乎」
「外敵と戰へば、概して敗走する」のが、「支那歷史の常態」である。であればこそ、「支那は果して彼が如き大國を、自ら防禦するの能力」を持っているのだろうか。独立を考えるならば、「支那人が虛心平氣に、此の問題に就て、熟慮せんことを望む」。
「自國の統治に信頼」を置かないからこそ、多くが上海やら天津やら青島などの租界という「支那の土地にして、支那人が自らから手を下す能はざる土地に、其の生命、財産を託する者」が多い。それというのも「支那人が、外力庇護の下に、其の安全を、見出」しているからだ。やはり彼らは自らの祖国に信を置いてはいないのである。
こういった歴史的事実から判断して、「此の平和的――如何なる高價を拂ふも、唯だ平和是れ希ふ――國民性を、激變」させることは至難だ。そこで考えられるのが経済関係を含めた「日支攻守同盟を結」ぶことであり、「日本に提供するに鐵、棉、石炭等の物資を以てし」、これに対し世界に向って「日本を以て、支那の巡査」を務めることを明らかにすることだ。「是れ兩國其の長所を交換し、互ひに相利する所以にあらずや」。
――とてもじゃないが、「日支攻守同盟」が「互ひに相利する所以」とは到底思えない。これが古今を通じた言論界の超大物とされる徳富から発せられた“提案”というのだから、逆に当時の日本における支那認識の実態と時代の風潮を推し量れそうだ。――《QED》