――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(34)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1809回】                      一八・十・念五

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(34)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

■「(六二)言論の勢力」

「支那に嚴正なる意義に於て、公議輿論なるもの」なし。というのも、「公議輿論」を「調節し」、「培養し」、「發揮する適當なる機關が見出さゞれば也」。だが、だからといって「人民の意思は、全く爲政者に無視せられたりとは、速了す可らざる也」。

歴史を振り返ると、「支那の革命」、つまり王朝の交代劇は「概ね流賊により、其端を啓かるゝも、流賊の先驅をなすものは、人心の動揺」であり、「民心の放潰」である。「此の衆庶心意の發作合離は、實に支那の史上に於て看過す可らざる暗流也」。これを「公議輿論」とは言えないかもしれないが、少なくとも「衆庶の心理情態の作用」であり、同時に「支那人の雷同性」であることは確かだ。

「堂々たる青天白日の高論崇議は勿論、其の童謡、俚歌さへも、動もすれば千萬の軍隊よりも偉大なる勢力を逞うしたる例」は、たしかに歴史上に認められる。ならば王朝をひっくり返すような「支那人の雷同性」に火を点ける「童謡、俚歌」もまた形を変えた「公議輿論」と見做すべし、ということだろう。

■「(六三)新聞雜誌の勢力」

「支那に於ては、正議?論よりも訛傳、流説を以て、有力なりと爲す」。それというのも、「輿論の理性に質す」というよりは、「寧ろ衆庶の迷信、若くは雷同性、彌次馬根性に訴ふうる」ことが有効であるからだ。「支那に於ては、口舌、文章の力は、兵力に比すれば、?々偉大なる働きを爲す」ものである。

これを「要するに拳力よりも、舌力有効」であり、「舌力既に然らば、筆力亦た固より然らざるを得ず」。「今後有力なる新聞出で來りて、支那を風靡する」ことだろう。そこで「吾人(徳富)は處士�議の風が、一轉して新聞專制の時代となる可く、豫期」した。

――百万の軍隊よりも強力な民衆の雷同性に火を点けるのは、やはり「舌力」、これをいいかえればメディアの力である。

中国では世の中を動かし、ひっくり返す大きな力として「槍杆子」と「筆杆子」の2つが挙げられている。鉄砲と筆、兵隊とメディアだ。毛沢東は「政権は鉄砲から生まれる」との有名な言葉を残した。わが国では毛沢東の革命は鉄砲が生んだなどと軽はずみにも誤解し、「鉄砲から革命を」などと叫んであさま山荘に立て籠った“革命戦士”がいたが、「槍杆子」が有効に働くためには「筆杆子」が絶対必須条件なのだ。

それは文革初期、毛沢東が「筆杆子」において政敵・劉少奇を“圧倒的に圧倒”したことを振り返れば判るはずだ。今日なお共産党中央宣伝部がなぜ力を持っているのか。中国における「筆杆子」の総元締めだからである――

■(六四)興亞的一大新聞」

だから「若し日支親善を、事實の上に現呈せしめんと欲」するなら、「只だ須らく支那に於て有力なる新聞、雜誌を發行す可し」。これこそが「即今の急務也」。イギリスは上海で『北支那日々新聞(ノース、チャイナ、デリーニュース)』を発行している。「其の紙數は、眇焉たるも、其の勢力は、隱然一敵國の觀をなし」ているほどの、「支那に於ける英國勢力の重鎭たり」。

だからイギリスにとっての『北支那日々新聞(ノース、チャイナ、デリーニュース)』に当たる機関を、日本は早急に持つべきだ。だが、「出來得る限りに於て、公平中正の態度を持」つ必要がある。「徒らに褊狹、固陋の我利的、主我的の言論」を振り回すことは厳禁。

それというのも「支那人をして、斯くの如く思惟せしむること」が肝要だからだ。《QED》


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