――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(34)鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

【知道中国 1941回】                       一九・八・仲六

――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(34)

鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

鶴見は「最近に現はれたロビンソン博士の『生ひ立ちの道に在る人間の心』と題する」「新しき方面より世界歷史を研究した」著作を援用しながら、「社會の現状に滿足せずして之を改良せむと欲する場合に、必ず辿るところの三つの經路」について説いている。

その第1は「社會組織を改革するところの運動」だが、やはり「政治組織と經濟組織の改革だけでは人間生活の完備を期することが出來ない」ことに気づく。そこで第2の運動である宗教に向かう。だが「宗敎運動の最高潮に達した後に、いつも人間が感じたことは、純眞なる愛と云ふものでは凡ての人間を敎化することは出來ないといふ失望であつた」。それが「更に第三の手段に人間を導いた。それは敎育と云ふ事である」。

だが「その敎育の内容を爲すところのものゝ不完全から」、「その敎育が、必ずしも人類を直ちに理想境に導くことが出來なかった」。それというのも「人間といふものは研究することが出來なかつた」からだ。そこで「人間自身を眞實に科學的解剖力を以て研究するといふことは、近代人の前に投げ出された大問題」になった。

以上のロビンソン博士の考えを受け、鶴見は「その人間自身の新しき研究と云ふことの必要を最も痛切に感ずる國の一つは、支那である」と記す。

「從來の支那が古き孔子の敎の蠧毒せられて、人間の研究といふものが遂に儒敎の範疇の外に出なかつた」ところが、「少なくとも支那の振はざるところの大なる原因であつたに違ひない」。「支那人が眞に新しき眼を以て人間社會を解剖し、批評し、疑ふところの時代が來ない間は、支那が本當の文明を造ることは出來ないに違ひない」。鶴見は、胡適などによって起こされた文学革命運動を初めて「支那に起りつゝある大現象」と見做し、「捉はれざる懐疑の時代に入った」と称えている。

いわば「孔子の敎の蠧毒」を自覚し、それからどのようにして脱け出し、「眞に新しき眼を以て人間社會を解剖し、批評し、疑ふ」ことをしない限り、「支那が本當の文明を造ることは出來ない」ということだ。

ここで毛沢東を考えてみたい。

毛沢東思想の神髄を簡潔に標語化した「為人民服務」「自力更生」「闘私批修(私心と闘い克服し、邪悪な修正主義を批判して理想社会を築く)」などを素直に受け取るなら、毛沢東の夢想(妄想?)した新しい社会の理想的な中国人像――自己犠牲の権化であり社会主義的聖人君子――が浮かび上がってくる。

毛沢東が「自力更生」の典型例として好んで国民を煽った古代の「愚公移山」の寓話にしても、家の前に聳え立ち人々の生活の妨げになる山を人力で切り崩して平坦にしよう。一代で不可能なら、子々孫々にまで受け継がせようというのだから恐れ入る。ここには社会主義の「し」の字も、ましてや共産主義の「き」の字も見当たらない。認められるのは“愚直なまでに崇高”な自己犠牲の精神主義、あるいは道徳完美の禁欲主義でしかない。

「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」で形容される絶対的平等主義を掲げた毛沢東が求めた理想的社会は、「大同社会」で表される古代の農本主義的ユートピアであり、それはまた孔子の考えに基づく儒家の理想社会であった。たしかに「為人民服務」「自力更生」「闘私批修」、あるいは「愚公移山」にしても、それらが訓え諭す“正しき行い”は誰にも否定出来ないし、同時に万人が実行できるものでもない。であればこそウソなのだ。毛沢東が掲げ続けた“正義のウソ”は「孔子の敎の蠧毒」に連なってはいないだろうか。

やはり「偉大的領袖」の毛沢東にしても、「從來の支那が古き孔子の敎の蠧毒せられて、人間の研究といふものが遂に儒敎の範疇の外に出なかつた」わけだ・・・ヤレヤレ。《QED》


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