――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(20)
鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)
青年の話はまだ続く。
「政治的の民」による「日本の改革は、政治から初めて、政府の力を以て經濟に及んだ」。これに対し「經濟的の民である」「支那人の理想は政府でも政治でもな」い。「吾々支那人は飽迄も經濟本位の人民であつて社會的人種であるが故に、日本の如く政治の改革を先にしたといふことは、支那の改革の失敗する一の原因である」。
「日本は中央集權の國である」が、「支那は地方分權の國である」。歴史的に中央集権と言われる「漢、唐の昔より近代元、明、清の世においても支那は常に地方分權の政治を行つたのである」。各省は自治であり、「中央の政令が徹底して地方に行われたことはない」。だから「支那の改革は日本の如く中央から始めずして地方から始めなければならなかったのである」――
――この青年の話の当否は自分には判断しようがないとしながらも、鶴見は大いなる「興味を喚起した」。そして「日支親善、同文同種といふやうな抽象的な、概念的な言葉だけでは、支那と日本との間に蟠つてゐる今日のこだはりを取つてしまふことは出來ない」。そこで「新しき眼を開いて見なければならない」ことになる。
ここで唐突ではあるが、「政治的の民」と「經濟的の民」からソ連におけるゴルバチョフのペレストロイカと、中国における�小平の改革・開放の違いを考えてみたい。ロシア人が「政治的の民」であるかどうかは不明だが、中国人が「經濟的の民」であることは昔も今も(おそらく未来永劫、人類が滅亡した後になっても)変わりはないはずだ。
ゴルバチョフはソ連の改革を政治面から始め、結果として共産党による独裁政治に幕を引いてしまった。これに対し�小平は改革・開放を掲げながらも、改革(政治)は棚上げにしたままで開放(経済)面のみに大きく舵を切った。共産党による一党独裁を断固として守るためには手段を択ばなかった。「共産党を批判しない限り、経済的には自由勝手にやり給え。弱肉強食は大いに奨励する。創意工夫を発揮してカネ儲けに邁進せよ」である。だが小銭を蓄えて調子に乗って民主化などと言った“クソ生意気なこと”を弄びでもしたら、共産党は直ちに躊躇なく、誰が何と言おうと、形振り構わずに鉄槌を下す。天安門事件が、その典型だろう。
�小平の一言を待っていたかのように、誰もが我先にカネ儲けゲームに狂奔しはじめる。なんと言っても中国人は変わり身が速いのだ。毛沢東が徹底教育し叩き込んだはずの「為人民服務」「自力更生」といった類の“毛沢東的理想”はキレイさっぱりとドブに捨てられ、「良心は犬にかじられ、狼に食われ、虎にかみ砕かれ、ライオンの糞になってしまった」(余華『兄弟(上下)』文藝春秋 2010年)というわけだ。カネ儲けにリクツは要らない。
�小平は考えたはずだ。“偉大な領袖”であった毛沢東が唱えた産めよ増やせよの偉大な大方針によって生み出され膨大な数の無為徒食の民の腹を、いったい、どうやったら満たすことが出来るのか。小人閑居して不善を為すというではないか。ヤツらをスキッ腹なままに放っておいたら、確実に共産党に歯向かってくる。毛沢東が進めた「經濟的の民」を「政治的の民」に翻身(うまれかわらせ)ようなどという壮大なムダは即刻中止し、思うが侭に経済活動(つまりカネ儲け)に向かわせよう。そこでヤツらをタダ同然の労賃で外国企業に提供し、外資を使ってヤツらを本来の「經濟的の民」に蘇らせてやれ。奴らの耳元に、この広大な国土には有史以来の無限のビジネスチャンスが眠っていると吹き込め。
まさに�小平の“詐術”によって本来の「經濟的の民」に立ち返った中国人によって、広大な国土は野望と欲望と権力と金銭が交錯するヤッチャ場へと大変貌を遂げた。《QED》