――「只敗殘と、荒涼と、そして寂寞との空氣に満たされて居る」――諸橋(10)
諸橋徹次『遊支雜筆』(目�書店 昭和13年)
ローマ字と共に注音字母で中国語を学習した経験からするなら、注音字母の方が遥かに合理的で優れたシステムであることは断言できる。であればこそ、中国語学習者には注音字母で学ぶことを強く推奨しておく。学んで損はない。絶対に。
『遊支雜筆』に戻るが、諸橋によれば当時の「實情では、漢字の音が南北各地で違ってゐるから、其を統一させる爲に、漢字に音を注する必要がある」という理由から発明された注音字母に対し、次のような疑問やら否定的見解が出されたという。
「一、注音字母などを用ひては、固有の漢字に害をおよぼす」「一、注音字母などは立派に語言の統一が出來た後に行ふべき」「一、注音字母などを用ひれば、在來の文告示諭などまで、其の形を改めなければなん」「一、同音の語の多い支那で、注音字母などを用ひれば、意味の混同を來たす」「一、漢字を�へて、また一方に注音字母を�へるとせば、兒童の負擔は却つて重くなる」――
ここで奇妙に思うことは、以上の疑問やら否定的見解は1950年代前半の中国における識字運動のうち漢字ローマ字表記化に対して見られたそれとほぼ重なるという点だ。ということは中国において漢字廃止・音標化の動きは20世紀の初頭と半ばの2回に起こり、双方とも“壮図空しく”して挫け、中国語学習の補助的手段に終わっているということになる。
因みに諸橋の「支那の實情では、四億の人口中、三億九千萬は眼に一丁字もない」に従うなら、当時の識字率は2.5%ということになる。1949年の中華人民共和国建国時は20%で、2010年前後の統計では90%とのこと。
識字率は飛躍的に増加していることになるが、それでも2010年前後にはなお10%の人が文字を知らないということになる。それにしても、である。漢字が難しいから大多数の人々は文盲のままに無知蒙昧に過ごし、無知蒙昧であるがゆえに為政者に命ぜられるがままに人生を空しく送ってしまったのか。共産党が主張するように、人民は文字を知らないがゆえに無知であり、無知であるがゆえに搾取されるがままの忍従生活を何千年も強いられてきたのか。誰もが文字を知っている現在でも共産党が独裁を続けている――言い換えるなら共産党による権貴政治による搾取に甘んじている――訳だから、漢字のみに“歴史的抑圧”の責任を負わせるのは酷であるし、《中国にける権力》というものに無関心が過ぎる。
漢字問題から国語問題に転じ、文学革命に関しては少壮精鋭学者の胡適や陳独秀の議論を紹介しているが、余りにも専門的に過ぎるので敢えて割愛しておく。
諸橋は、「何れにせよ、支那の國字國語界は、今日支那の世相の急激なる變化のある如く、或る種の急激なる變化が起こるであらう。そして此がまた新しい支那の一つの姿を作ることであらう」と記し、「二 新しい姿」の章を閉じ、次の「三 破國か新興か」の章に移る。
「支那の姿が全體として破れた國の樣子を具へて居る」ものの、新文化運動に見られるように「新しい動きが此の間に起つて居る」。はたして「支那は破れて居る國であるか、或は新しく起きる國であるか」。ここで注目しておくべき点として諸橋は「支那民族の民族性の中には、矛盾と撞着とがありまするが、其の矛盾撞着の間に、一つの強味、強靭なる力といふやうなものがある」ことを指摘する。
「元來支那の人々は打ち見た所では極めて呑氣であ」る。「要する所、極めて呑氣な生活をしている反面に其の間に他の人の及ぶことの出來ない大きな要領を得て居る。是が支那民族の一つの特徴のように思はれます」。
ここで「中国人は暇つぶしの名人である」との林語堂の指摘を思い出す。呑気であることは暇を持て余さない。暇を愉しむ。暇の中から何かを身に着ける、ということか。《QED》