――「只敗殘と、荒涼と、そして寂寞との空氣に満たされて居る」――諸橋(2)諸橋徹次『遊支雜筆』(目黑書店 昭和13年)

【知道中国 1829回】                      一八・十二・仲八

――「只敗殘と、荒涼と、そして寂寞との空氣に満たされて居る」――諸橋(2)

諸橋徹次『遊支雜筆』(目黑書店 昭和13年)

 南京を歩く。科挙試験場であった貢院の跡に一歩足を踏み入れる。ここもまた「唯破國の俤を示す丈ではありませんか」。

 「古來幾多の秀才を出したのも此の院でありませう、幾多の顯官盛位を出したのも此の院でありませう、そして因襲と形式と虛僞を因循とを産出して、遂に支那帝國を老朽せしめたのも、亦此の院でありませう。(中略)破國の幽霊を宿して居るかのやうに思はれてなりません」。

 南京から長江を行くこと2日で九江着。「愀陋な町を通り抜け、小さい橋を渡つて琵琶亭を訪ねました」。かの白楽天の「琵琶行」の舞台だ。当然のことながら、ここにもかつての華やぎは微塵も感じられない。「こゝにも破國の俤を蔽ふことは出來ないと思ひました」。

 武昌、洛陽と回るが、ここも同じだった。「開封でも彰德でも乃至曲阜でも、凡てこの調子にまゐるのであります」。とどのつまり「この破國といふ淋しい印象が、ひとり形の上のみならず、生活の上にも人心の上にも宿つて居ることを認めては、誠に、我が國と因縁淺からぬこの國の爲に悲しまざるを得ないのであります」。

 蘇州の寒山寺から虎丘への道を歩いていた時のこと。「此の田の畔丈は不思議に麗しい敷石からなつて居りました」。「何氣なく調べて見ますと」、それらは城壁の煉瓦であったり、石仏であったり、立派な石碑だったり。「彼等は此を以て甘い廢物利用を行つたと考へて居るのでありませうが、實に間に合わせの賣り喰ひでありまして、歷史ある國の遺跡は斯くの如くにして消え去るのであります」。

 そういえば20年ほど昔に国際学会で訪ねた汕頭大学でのことを思い出す。早朝に大学を抜け出て辺りを散歩していると農業用のため池にでた。立派な石組みの水門を見ると、なんだか異様だ。遠目で見ると一個一個の石に文字が刻まれているようだ。近づいて見ると、それらは墓石(正確には「元墓石」)だった。そこで近くを歩いていた老人に尋ねると、ため池建設用に石が近くの墓石を利用した、とのこと。「バチが当たらないかい」「な~に、使えるものは使うさ」。「實に間に合わせの賣り喰ひ」は諸橋の時代だけではなく伝統、いや習近平主席の掲げる「中華民族の偉大なる復興」の一齣かもしれない。

 とどのつまり「破國」においては、「煉瓦を賣り、石碑を賣り、繪畫文章を賣つて、賣り喰ひの味を知つた支那の人は、益々手が延びて、こゝに道德經術をも賣り出して居るといふことを知らなければなりません」。ここから諸橋は、当時の政府の姿勢に思いを致すのであった。

 「今日支那に於ける財政の整理法は、一にも二にも借款であります。鑛山を抵當にし、鐵道を抵當にし、山林を抵當にし、土地を抵當にし、かくて得たる巨額の金は、雲散霧消、多くは行くへ不明に立消えます」。「有限を以て無限に應ず」れば破産は必至である。「破れたる國といふ俤は、此の賣り喰ひ主義によつて更に其の影を厚くしたものと云はねばなりません」。

 「破國」の国でも、やはり「破産に近づいた人の薄弱な心は、必ず投機心となつて表れてまゐります」。「やがて焼氣糞まぎれに一攫千金を夢見るのでありませう」。

 「漢口はじめ居留地ならぬ大都市にも、それぞれ廣大な競馬場のあることから考へまして、支那の人の機心がこの種の設備を促したと見るのは、あながち不當の見解とは思はれません」。そこで質屋。「今日世界の各國中で、質屋制度の最も發達して居るのは支那であるといふ話を聞きましたが、恐らくは其も誤ない實際の事實でありませう」。「次は博奕であります」。「支那人の博奕好きにも呆れるばかりであります」。確かに、そうだ。《QED》


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