――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港45)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港45)
【知道中国 2163回】                      二〇・十一・念五

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港45)

 

いま改めて振り返ると、当時の香港は新しい時代に向けて大きな変わり目に差し掛かっていたように思える。その象徴が、ハリウッドでの成功を引っ提げて香港で鮮烈なデビューを飾った李小龍(ブルース・リー)ではなかったか。

彼は『唐山大兄』(1971年)、『精武門』(1972年)、『猛龍過江』(1972年)、『龍争虎闘』(1973年)と話題作を連発し、得意の絶頂を突っ走りながら、1973年7月に突如として32年の短い生涯を閉じてしまった。

デビューも、スクリーンに映し出される彼の壮絶華麗なアクションも、そして死も――なにもが衝撃的だっただけに、一面では映画スターの範疇を超え、世界に新しい香港をイメージさせる上で極めて重要な役割を果たしたとも思える。

彼の作品は、飛んで来る弾丸を2本の箸でハッシと捉え、傘を広げて空を飛び、ロープワークを使った奇想天外な動きを見せる従来の功夫片(アクション映画)とは次元を異にしていた。同じくチャチな作りのセットではあったが、それまでの功夫片に充ちていた古臭い予定調和的雰囲気が消えた彼の映画は、激しい苛立ちと怒りに貫かれてた。

どのような難敵にも悲壮感を滲ませながら単身で立ち向かう姿、滾らせた満腔の怒りが解き放たれた刹那の「アチョーッ!」の怪鳥音、鍛え上げられた肉体だけが発する驚異のワザ、特撮では描きだせない生身の暴力、数多の敵に勝利した後の哀しい佇まい、そして全作品を貫く強烈な愛国精神――それまでの香港映画が語り得なかった“物語”を、李小龍はスクリーンに叩きつけてみせた。中華民国建国当初の社会で中国人を侮蔑し横暴の限りを尽くす役回りの「洋人(せいようじん)」と「仮洋鬼子(にほんじん)」という敵を、完膚なきまでに叩きのめした。屈辱の過去から解き放たれ、香港は自立を求めていたのか。

ある日、第一日文の授業が終わるや、私より3、4歳年上と思われる学生が真剣な面持ちで、「メシを食べながら相談を」と。アルコール付に違いないから断る理由は全くナシ。

ビールを酌み交わしてしばらくすると、「オレは中国武術からボクシングに転じ、いま香港の中量級のチャンピオンなんです」と。どうりで首は太いし、服の上からもガッチリと鍛え上げられた肉体を感じる。「先生、李小龍をどう思いますか」。当たり障りのない返答をしたような。すると真顔になって、「先生、オレはヤツに挑戦状を叩き付けようと思うのです。ヤツは中国武術をバカにしています。ヤツのワザはインチキです。公開の果し合いで、ヤツに血ヘドを吐かせてやります」。固い決意を聞いた後、ビールをグビッと飲み干し「やったらいい」と煽った。今にして思えば、申し訳ないことをしたと大々反省。

10日ほどした後、再び2人でビールを。「ヤツは返答を寄こしません。再度、挑戦状を送ります」と。半月ほど経って、またまたビールだ。「ヤツは卑怯者だ。返答が来ないと言うことは、オレから逃げた。やはりヤツはインチキだった」と。だが彼は満足感に浸っていた風でもない。その顔には無視された寂しさ、無念さ、恥ずかしさが滲んでいたような。

――李小龍にまつわるチッポケで、極めて私的な思い出だが。

李小龍の死が突発的で衝撃的に過ぎただけに、流言飛語から揣摩臆測、加えるに捧腹絶倒の“怪説”までが新聞紙面に溢れた。なかでも最高ケッサクは、「中国武術の秘儀を体得しているから、いま自らを仮死状態に置いている。やがて術を解いて蘇り棺の蓋が開く」だった。九龍の紅?の国際殯儀館で行われた葬儀を覗いてみたが、“時代の兆児”を送るに相応しく、この上なく大掛かりでド派手。まるでスクリーンの中に描かれる黒社会の大親分の大仰な葬式を見るようだった。役者にとってこそ、葬儀は人生最後の晴れの大舞台だ。

蜃気楼のような彼の人生が、その後の成龍(ジャッキー・チェン)のリアルでコミカルなアクション映画を世界のエンタメ市場に押し出す“呼び水”となったに違いない。《QED》

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