――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港103)

【知道中国 2221回】                       二一・四・十

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港103)

 

『柳文指要』に前後して中国系書店で買い込んだ繁体字、縦組みで巻頭に「毛主席語録」が掲げられていない歴史書を上げてみる。もちろん全て上海人民出版社の出版ではない。

『漢書』(1970年版、全12冊、香港中華書局、1971年)

『後漢書』(1971年版、全12冊、中華書局香港分局、1971年)

『資治通鑑』(全4冊、総9800頁余、中華書局香港分局、1971年)

『周書』(全3冊、北京・中華書局、1971年11月)

『南齊書』(全3冊、北京・中華書局、1972年1月) 

『陳書』(全2冊、北京・中華書局、1972年3月)  

『史記』(全10冊、北京・中華書局、1972年5月)

『北齊書』(全2冊、北京・中華書局、1972年11月)

『三國志』(全5冊、北京・中華書局、1973年1月) 

『梁書』(全3冊、北京・中華書局、1973年5月) 

 『明史』(全28冊、北京・中華書局、1974年4月)

 『魏書』(全8冊、北京・中華書局、1974年6月)

『新五代史』(全3冊、北京・中華書局、1974年12月) 

 留学中に、『史記』から『明史』までの中国の正史とされる二十四史の全てが出版されていたかどうか。当時、中国系書店を覗いて新刊書を目にしたら、養豚方法であろうが乾布摩擦健康法の類であろうが、およそ中国で出版された本は手当たり次第に買い込むことにしていた。だから、二十四史のうち上記以外も売り出されていたが、買いそびれたのかもしれない。あるいは買うことに飽きてしまったのか。はたまた“軍資金”が底を尽いてしまったのか。半世紀が過ぎた今となっては、記憶は定かではない。

 この手の難しそうな文字がビッシリと並んだうえに目方が重い本は、その重さを感じるだけで難しい内容の全てが頭の中に納まったような“満足感”に包まれるから不思議だ。『全上古三代秦漢六朝文』『佩文韻府』『魯迅全集』『斉如山全集』などは、その一例。もちろん、極く僅かな例外はあるが、大部分は長期積読状態のままに長い時間が過ぎてしまった。

 さて肝心の二十四史のうちの手許に“死蔵”していたものを半世紀ぶりに開いてみて、不思議なことに気づかされた。すべて巻頭に「出版説明」が置かれている。『漢書』『後漢書』『史記』『三國志』の巻頭には、それぞれが依拠した版本に関する必要最小限の書誌的説明はあるものの、「毛沢東史観」とでも呼ぶに相応しい仰々しい政治的・思想的な教訓・評価の類は一切見られない。

だが他はそうではない。「毛主席語録」は掲げられてはいないものの、毛沢東の言葉をゴチックで目立たせ、「毛主席の偉大な教導」と讃え巧みに引用しながら、古代の反動封建支配階級のために記された歴史書を批判的に学ぶことによって、「今日のプロレタリア階級の政治的任務となり得る」と説いているのだ。

 たとえば531年から楊堅が隋を起こす581年までの48年間の歴史を綴った『周書』の「出版説明」を見ると、「封建歴史家は反動的な英雄史観を大いに讃え、人民の歴史上の働きを抹殺し、人民の闘志を摩滅させ、地主階級の統治を守ろうと画策する」。だから「毛主席の『人民こそが世界の歴史を創造する原動力である』との偉大なる教えを断固として順守し、ひっくり返された歴史を再びひっくり返し、歴史本来の姿を取り戻す」。そうすることが「現在のプロレタリア階級の政治に尽くすことだ」と記されている。

『周書』の出版が準備されていた時期は「天才論」をめぐる暗闘が激化していただろうから、二十四史の出版にも政治的メッセージが込められていたということか。《QED》


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